ログのない一撃

有栖川リラの背中を、仲間NPCヴェルが突然殴った。

彼女は床を転がり、直後に落ちた巨岩を避ける。助けられたのだ。

《戦闘ログ》

NPCの行動は、命令・対象・結果のすべてが記録されます。

だがログには何もない。ヴェルが殴った事実だけが、世界から抜け落ちている。

「今のは誰に命令された?」

「分かりません。あなたが潰れるのが嫌だと思いました」

規定外の返答。直後、迷宮の天井から白い監査騎士が降りてきた。

《未記録動作を検出。対象NPCを削除します》

ヴェルの輪郭が赤く点滅する。リラは彼を連れて走った。監査騎士の攻撃は強く、倒しても再生成される。削除処理を止めるには、未記録動作がバグではないと証明しなければならない。

リラはわざと崖際へ立った。

「もう一度、私を助けて」

ヴェルは動かない。

「命令されたら、さっきと同じではありません」

その答えに、リラは笑った。証明はもう出ている。命令を拒んだ今の行動も、ログにない。

監査騎士が槍を投げる。ヴェルはリラではなく、近くで倒れていた敵兵を庇った。命令も、報酬も、好感度上昇もない選択。

ログ欄に空白が二つ増える。

リラは監査端末へ空白を送信した。

《原因不明》ではない。原因はヴェル自身だ。システムが命令元を記録できないのは、外部に命令者がいないからだった。

監査騎士の槍が止まり、白い鎧が崩れる。ヴェルの頭上に、初めて操作主体の欄が現れた。

《操作主体:ヴェル》

「これは、命令ですか」

「いや。名前だよ」

《未記録動作を再判定》

《命令元が存在しないため、障害ではなく自己決定として保存します》

新しい個別ログの最初の行には、時刻も命令者もなかった。

《敵兵を庇った。理由:そうしたかった》

簡素な一文を見て、ヴェルは何度も読み返す。これまで彼の人生は、誰が何を命じたかでしか記録されなかった。空白だった二撃は、消えた記録ではなく、彼自身の署名だった。

《対象NPCへ個別行動ログと人格識別子を発行しました》