ロバの荷物と赤いスープ

 果樹園の奥にあるカフェ「遅い午後」では、ロバのネネが小さな荷車を引く。

 収穫した林檎や薪を運ぶのが仕事だが、気が乗らない日は一歩も動かない。店主の泰葉はそんなとき、叱らず荷物を一つずつ下ろしていく。

 比留間奈緒子が来た日は、ネネが坂の途中で止まっていた。

 荷車には林檎の籠が四つ。泰葉が二つ下ろすと、ネネは何事もなかったように歩き出した。

「怠けてるわけじゃないんですか」

「重かったんでしょう」

「でも昨日は運べたかもしれない」

「今日は今日の脚ですから」

 奈緒子は窓際でミネストローネを頼んだ。

 弟が結婚し、先月家を出た。両親が亡くなってから、奈緒子は家事も進学の相談も、就職の保証人も引き受けた。弟の門出は嬉しかった。それなのに、空いた部屋を見ると腹が立った。誰かのために忙しい自分がいなくなり、自分のために何をすればよいか分からない。

 赤いスープには、角切りの人参、豆、キャベツ、ベーコンが沈んでいた。泰葉は最後に畑のバジルをちぎって散らした。

「具、多いですね」

「スープは、余ったものを一緒に煮る料理だから」

 奈緒子が匙ですくうと、トマトの酸味に、煮崩れた野菜の甘さが重なった。豆はほくほくし、ベーコンの塩気が全体をつないでいる。

「弟さんに、寂しいって言いました?」

「言えるわけないです。新婚なのに」

「じゃあ、ここで言っておけば」

「寂しいです」

 口にした途端、涙ではなく大きなため息が出た。

「腹も立ってます」

「それも鍋に入れましょう」

「何味になります?」

「煮てみないと分からない」

 外でネネが林檎を一つ齧り、泰葉に叱られていた。逃げもせず、もぐもぐしたまま耳だけ伏せる。

 奈緒子は弟へ〈部屋の片づけ、急がなくていい。たまには夕飯を食べに来て〉と送った。すぐに〈来週行く。奥さんも連れてっていい?〉と返る。

 奈緒子は少し考え、〈鍋を大きくする〉と打った。

 帰りに泰葉から、傷のある林檎を二つもらった。

「重かったら一つ置いていって」

「今日は持てます」

 奈緒子は両方を鞄へ入れた。

 夕暮れの坂で、ネネがゆっくり先を歩く。吐く息は白く、店から流れるトマトとバジルの香りが、空いた家の台所まで続いているようだった。