一杯百万円の新茶
相良久美子は、小夜の実家から届く茶葉を一度も客に出さなかった。
「農家の自家用でしょ? 人様には有名店のお茶を出さないと」
香月家の包みは納戸へ押し込み、小夜には毎回、久美子お気に入りの高級茶を買わせた。
春、久美子は茶道仲間と新茶の競売会へ招かれた。国内外の買い手が集まり、最高級品には一缶数百万円の値が付く催しだった。小夜は荷物持ちとして同行した。会場には若葉を蒸した香りが満ち、茶師たちは声を潜めて産地の名を待っている。久美子だけが、派手な帯と招待状を見せて知識を競っていた。
壇上に黒い箱が運ばれると、会場の空気が変わった。
「本年の香月第一園、初摘みです」
久美子は小夜へ囁いた。
「あなたと同じ名字ね。まさか親戚なんて言わないでよ」
競りは開始直後から跳ね上がり、一缶一千万円で落札された。試飲用の一杯には保険評価額百万円という説明まで付いた。
落札者たちが立ち上がり、会場後方の小夜へ礼をした。
司会者が告げる。
「香月茶業連合の後継者、相良小夜様に、本年の出来をご講評いただきます」
香月家は茶畑だけでなく、飲料会社、料亭、旅館、広大な山林を所有する旧家だった。久美子が愛飲していた『月香』も、香月グループの普及銘柄である。小夜は結婚前、海外の茶園を再生して国際賞を得ていたが、家ではただ静かに急須を温めていた。
小夜の父が作業着のまま壇上へ上がった。久美子が以前、「土の匂いがする」と玄関で追い返した人物だ。
「小夜、家に送った分は飲んだか?」
小夜は納戸の方角を思い浮かべた。
「お義母さんが大切にしまってあります」
会場の茶師たちがざわめく。父が送った包みには、第一園の初摘みが毎年二缶ずつ入っていた。
鑑定人が久美子へ尋ねた。
「未開封なら、ぜひ保存状態を確認させてください。一缶の評価は本日の落札額と同等です」
久美子の顔が引きつった。納戸の茶葉を、先週まとめて生ごみの日に出したばかりだった。
父は娘へ、第一園の鍵を差し出した。
「今年から、お前が当主だ」
会場全員が頭を下げる中、久美子の手にある有名店の紙袋だけが、急にひどく軽く見えた。