上書きした名前
夏服のシャツは二着あった。
一着は新品。もう一着は、兄が最後に着たものだった。
母は「洗い替えに」と言った。兄が卒業前に事故で亡くなってから、家では制服の話を避けていた。
私は古いシャツを着たくなかった。
胸ポケットの内側に兄の名前が残っている。学校で見つかれば、「弟なんだ」と言われる。顔も部活も成績も比べられてきた。
衣替え初日は新品を着た。
二日目、雨で乾かなかった。
仕方なく兄のシャツを着る。
肩幅は少し大きく、袖は私より長い。廊下を歩くと、借り物の体を着ている気がした。
更衣室で、同じ部の友達が内側の名前に気づいた。
「兄貴の?」
私はうなずいた。
「似合う」
その言葉が嫌だった。
「兄に?」
強く返すと、友達は首を振った。
「今のお前に」
ポケットから油性ペンを出し、兄の名前の下へ線を引いた。
「何するの」
「上書きしろ」
私は迷った。
名前を消すことは、兄を消すことではない。それでも手が震えた。
友達がペンを握ったまま待った。
私は自分の名前を書いた。
兄の文字より下手で、大きかった。
その日の部活で、顧問が私を兄の名前で呼び間違えた。
いつもなら黙っていた。
「違います」
初めて、はっきり訂正した。
顧問はすぐ謝った。
帰宅後、母に名前を見せた。
怒ると思ったが、指で二つの文字をなぞった。
「やっと二着目になったね」
それまで古いシャツは、兄の一着目のままだったのだ。
夏の間、私は新品と交互に着た。兄のシャツの日も、前ほど肩が重くなかった。
洗濯を重ねるうち、二つの名前は少しずつ薄くなった。
それでも重なったまま残った。
私は兄の代わりにはならない。
同じ制服を着ても、同じ季節を歩くわけではない。
衣替えの日、ようやくその違いを自分の名前で書けた。
秋の衣替えでシャツをしまうとき、私は兄の文字へ一度だけ触れた。悲しさは消えなかったが、その下に自分の名前があることを、もう申し訳なく思わなかった。
二着目は、誰かの続きではなく、私の最初の一着になった。