予約名は昔のまま
ホテルの受付で、係員は名簿を見て言った。
「三名様、岩永柊一様のお名前でご予約ですね」
岩永柊子は一拍置いて、「はい」と答えた。北見航が訂正しかけたが、村瀬亜希に袖を引かれた。
高校の同窓会は隣の大広間で続いていた。三人は人の少ないラウンジへ移り、窓際の丸卓で飲み直した。柊子が卒業後に名前を変えてから、三人だけで会うのは初めてだった。大広間の名札は直してもらえたが、受付名簿には赤いチェックが昔の名前の横についたままだった。
「幹事に言ってなかった私も悪い」と柊子。
「悪いって言葉、便利すぎる」と亜希が返した。
航は受付でもらった名札を外した。そこには三人の卒業当時の顔写真が小さく印刷され、柊子だけが写真と名前の両方から取り残されているように見えた。
航はグラスの水滴を拭きながら、四月に父親になると打ち明けた。東京の会社を辞め、妻の実家がある町へ移る。高校時代、最も遠くへ行きたがった彼が、家族の近くを選んだ。
亜希は出版社を退職し、ペンネームで小説を書き始める。売れる保証はないが、今の名前を自分で決められる仕事がしたいという。
二人が柊子を見る。
「私はヘルシンキの研究所へ行く。三年契約。戻るかは決めてない」
「また遠いな」と航。
「ここにいると、昔の説明ばかり上手になるから」
三人は高校時代、演劇部で同じ脚本を書いた。役名を決めるたび、名前は衣装みたいに着替えられると笑っていた。現実では、一文字変えるだけで、書類も声も過去も何度も確認された。
ラウンジの係員が会計票を置いた。予約名の欄には、昔の名前が印字されている。
柊子はペンを借り、横線を一本引いた。その下に今の名前を書く。航は行き先の町を、亜希は新しいペンネームを余白へ書き添えた。
「宿帳じゃないよ」と亜希が笑う。
「次に間違えられたくないから」
三人は大広間へ戻らず、そのまま別れた。航は家族の待つ駅へ、亜希は深夜営業の書店へ、柊子は空港近くのホテルへ向かった。
丸卓には、訂正された会計票だけが残った。古い予約名は線の下からまだ読めたが、その横には誰も座っていなかった。