二月三十日の証拠

硯川伊吹は、法律事務所でコピー係と呼ばれていた。

正確にはパラリーガルだが、五代弁護士は書類を渡すたびに言った。

「法律を考えるのは資格のある人間の仕事だ。君は順番を間違えず綴じればいい」

大口取引先の損害賠償訴訟で、相手側から三百枚の証拠が届いた。

伊吹はページ番号、作成日時、送信元を一覧にする。資料の中身だけでなく、ファイル名の癖や編集ソフトの版まで一列ずつ揃えた。

一枚だけ、日付が二月三十日だった。

紙面には三月二日と印字されているが、埋め込まれた作成情報が二月三十日。存在しない日だ。日付を直接打ち込んだのではなく、時計を変更した端末で新しく作った可能性が高い。

伊吹は五代へ報告した。

「変換ソフトの誤差だ。こんなことで忙しい私を止めるな」

「同じ端末で作られたとされる他の資料には誤差がありません」

「コピー係が鑑定ごっこをするな」

法廷で、相手側の証人はその資料を「事故当日に作成した点検表」と証言した。

五代は予定どおり別の質問を始める。点検表が真正なら依頼人の敗訴はほぼ決まり、賠償額は会社の存続に関わる。

伊吹は傍聴席から、短いメモを事務所の代表弁護士へ渡した。

代表は内容を読み、五代の袖を引いた。

裁判官の瀬戸口が、証拠の原本提出を命じる。

相手側は同じ電子ファイルを出した。

瀬戸口が作成情報を確認する。

「二月三十日とは、いつですか」

証人の顔色が変わった。

相手側代理人はソフトの不具合を主張したが、伊吹の一覧には、問題の資料だけ別の編集ソフトを使った履歴まで整理されていた。購入日は事故の二か月後だった。原本を事故当日に作成したという証言と両立しない。

五代が初めて伊吹を振り返る。

代表弁護士は彼の前へ出て、一覧を証拠説明書として提出した。

瀬戸口は点検表を排除し、作成経緯を調査機関へ送ると告げた。

相手側の主張を支えていた中心証拠が消える。

閉廷前、代表弁護士は担当者変更届を提出した。

証拠分析責任者の欄には、硯川伊吹の名が記されていた。