二階のトマト
花屋の二階にある自宅から、合鍵がなくなった。
鳥越沙月は、繁忙期の店内で鍵箱をひっくり返した。昨日二階へ上がったのは、同僚の浅羽凛、家賃の集金に来た大家の千々岩、そして一週間口をきいていない妹の里桜。凛は店を離れられず、千々岩は玄関先で領収書を書いただけだと言う。里桜からは、昨夜の「ちゃんと寝てる?」というメッセージが未読のまま残っていた。財布も通帳も無事なのに、合鍵だけがない。
階段には湿った土が点々と落ちていた。踊り場にはちぎれたバジルの葉。二階の流しには、冷水に浸された真っ赤なトマトが三つ浮かんでいる。
「里桜、いるんでしょ」
沙月が声を上げると、ベランダから妹が顔を出した。腕には、しおれかけた鉢植えを抱えている。合鍵は緑色のじょうろの底に入っていた。
猛暑の三日間、沙月は結婚式の装花に追われ、店のソファで眠っていた。二階の部屋へ戻らず、母からもらったハーブやトマトの苗は日差しに焼かれていた。凛が心配して里桜へ連絡し、千々岩がベランダの避難場所を教えた。里桜は合鍵で入り、鉢を室内へ移したのだ。
姉妹が喧嘩したのは、沙月が実家の手伝いを断ったことだった。本当は実家の法事へ行きたかったが、予約を断れば店が傾く。沙月は事情を説明する代わりに、忙しいことを盾にした。「花屋の方が大事なんでしょ」と里桜は言い、沙月は「分かってもらわなくていい」と返した。
「謝りに来たんじゃないから」
里桜は鉢を置きながら言った。
「枯れたら、お母さんが悲しむと思っただけ」
その言い方が、謝罪の代わりなのだと沙月には分かった。勝手に鍵を持ち出したことも、冷蔵庫へ作り置きを詰めたことも、里桜は一つずつ不機嫌そうに白状した。冷蔵庫には、姉の好きな茗荷入りの冷や汁まで入っていた。
沙月も「仕事が大事」と言い張ったが、本当は妹に忙しさを責められるのが怖かった。助けてと言えば、店を続ける自信までないように聞こえそうだった。
二人は流しのトマトを一つずつかじった。冷たい果汁が、疲れた舌に甘い。
沙月は半分を妹へ差し出した。
「おかえり。手伝って」