休刊号は出ない

叶内紗英は、学生新聞部の部室で印刷機を起動した。機械は低く唸ったが、紙を吸い込まない。大学が電源契約を停止したのは、昨日だった。

「最後の号くらい刷らせてくれてもいいのに」

戌亥峻が紙の束を叩く。

「最後の号に、大学の予算流用の記事を載せるからだろ」

檜垣眞澄は窓のブラインドを閉めた。取材メモ、録音、数字。記事の裏付けはある。しかし発行前に部室の使用許可が取り消され、後輩は全員、進路への影響を恐れて退部した。

「ウェブで出す」と紗英が言う。

「サークルは今日で解散だぞ」

「名前を変えればいい」

「変えたら、四年間の責任も消える」

峻は全国紙の記者になる。内定先には、この記事を出さないよう忠告された。

「入社前から忖度か」と眞澄が笑う。

「入社するために黙る。入社したら書く」

「入社したら、もっと黙る理由が増えるよ」

眞澄は企業の広報部へ行く。取材される側だ。

「裏切り者って顔するな。記事がどう止められるか、内側から覚える」

紗英は故郷の市議会事務局に採用された。新聞を続けると皆が思っていた。

「私は、議事録を書く。誰が何を言ったか、一字も飾らず残す」

「それで満足?」

「満足しない仕事を選んだ」

三人は最後の記事を読み直した。見出しは〈消えた五百万円〉。だが、いま消えようとしているのは、記事を出す場所だった。

峻が個人サイトでの公開を提案し、眞澄が証拠の保全を優先し、紗英は今夜中の印刷にこだわった。どれも正しい。だから決まらない。

印刷機のトレイに、一枚だけ白紙が残っていた。紗英が手差しで押し込むと、機械は一度だけ動いた。

出てきた紙には、黒い横線が一本印刷されただけだった。

「検閲みたい」と眞澄が言う。

「見出しにしよう」と峻が答えた。

紗英は笑い、白紙の余白に三人の署名を書いた。記事データは三つに分け、それぞれが持ち帰ることにした。

鍵を返し、部室を出る。印刷機の排紙口には、横線だけの紙が残った。休刊号は出なかった。それでも一本の線が、書かれなかった記事と、別々の場所へ行く三人を同じ側に置いていた。