修学旅行の前夜
曽根崎麻耶の家で暮らす白川結は、中学三年生になった。
修学旅行の前夜、居間には衣類と洗面道具が広がっている。
結は里親である麻耶に手伝われるのを嫌がり、旅行鞄の口を自分の体で隠した。
「靴下、三足」
「入れた」
「予備」
「三日だから三足」
「濡れたら?」
「旅館に乾燥機」
「使えなかったら?」
「麻耶さん、心配を荷物にすると重いよ」
麻耶は黙って、持ち物表へ丸をつけた。
結の言う通りだった。
迎えたばかりの頃、忘れ物をさせないこと、病気にしないこと、困らせないことばかり考えた。結はもう、自分で困って、自分で解決できる年齢になっている。
それでも制服の名札が少し取れかけているのを見つけた。
「これは縫う」
「旅行では制服着ない」
「集合時に着る」
「自分でできる」
結は裁縫箱を取り、針へ糸を通した。
麻耶は横で、ほどけた旅行鞄の持ち手へ布を巻いた。
二人とも無言で手を動かす。
針が布を抜ける音、鞄の金具が鳴る音。
台所では、翌朝用の肉じゃがが鍋で冷めていた。醤油と玉葱の甘い匂いが部屋へ流れてくる。
「お土産、何がいい?」
結が訊いた。
「自分の好きなものを買いな」
「家の分」
麻耶は少し考えた。
「日持ちするお菓子」
「現実的」
「二人で食べられるもの」
「了解」
荷造りが終わると、鞄は思ったより膨らんだ。
麻耶が予備の靴下を一足、黙って端へ入れようとすると、結に見つかった。
「重い」
「軽い」
「心配の重さ」
「では、持つかどうか自分で決めて」
結は靴下を手に取り、少し迷ってから入れた。
「これは私が決めた」
「はい」
翌朝、結は玄関で何度も鞄を確かめた。
麻耶は「忘れ物は」と訊きかけ、飲み込む。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
結は一歩外へ出て、振り返った。
「帰るの、金曜の六時ごろ」
「夕飯、何がいい?」
「肉じゃが。今日の残りじゃなくて、新しいの」
「承知しました」
扉が閉まる。
部屋には縫った糸と昨夜の肉じゃがの香りが残った。
三日間、家は少し広くなる。
けれど金曜の鍋へ入れるじゃが芋を考えたとき、麻耶にはもう、結が戻る場所の形がはっきり見えていた。