元恋人では乗れない

「元恋人なら、駅まででいい」

片瀬澄玲は、草薙大樹に送られるたびそう言った。

三年前、二人は互いの忙しさに疲れ、嫌いになる前に別れた。半年後から友人として会うようになり、今では月に一度食事をする。穏やかで、安全で、もう傷つかない関係だった。

けれど大樹が来月から札幌へ移ると聞いた夜、澄玲は初めて、友人へ戻れたのではなく、好きなまま止まっていただけだと気づいた。

終電まで十分。改札前で大樹はいつものように「ここで」と立ち止まる。

「向こうでも元気で」

「澄玲も」

「たまには連絡して」

「元恋人として?」

軽い冗談にするには、声が真剣だった。

澄玲はスマホを開き、連絡先につけていた《大樹/元》の文字を削除した。表示を《大樹》だけにし、翌月の札幌行き航空券を検索する。最初の土曜の便を選び、彼の目の前で購入した。

「これは友人として?」

「それも、やめたい」

大樹は返事の代わりに澄玲の手を取った。三年前、最後に手を離した場所と同じ改札前だった。今度は改札を通っても離れない。

ホームへ終電が入る。大樹は澄玲と同じ車両へ乗り、彼女の駅まで行くという。自分の終電はもうなくなる。それでも土曜の予定へ《澄玲の好きな店を探す》と入力し、札幌での二日分を空けた。

「今度は、忙しいときほど次の約束を入れよう」

澄玲はうなずき、彼の指を握り返した。

澄玲の駅で降りると、大樹は三年前にはできなかったことを一つずつ確認した。忙しい日は短い連絡だけでいいこと、会えない月ほど先の予定を消さないこと。澄玲も同じ条件を予定表のメモへ残す。やり直すのではなく、以前とは違う続け方を選ぶ夜だった。

大樹は条件の最後へ《不安になったら勝手に諦めず、相手に聞く》と足した。澄玲は少し笑い、その一文にだけ二重丸をつけた。

澄玲は、もう迷わなかった。

「元恋人なら、駅まででいい」

だから二人は元恋人のままでは乗れない電車に乗り、もう一度、名前だけで呼び合う関係へ進んだ。