双子時計の片方
一ノ瀬茉莉は、鏡を見るたび双子の姉になる。
交通事故で姉の菫を亡くしてから、知らない記憶が混じるようになった。自分は飲めないはずのブラックコーヒーの苦み。行ったことのない海辺のホテル。姉の恋人へ「会いたい」と送信しかけた夜もある。母には菫の口調で返事をしたと泣かれ、自分の好きな服を着ることさえ、姉の真似ではないかと疑うようになった。
双葉景は、右に赤、左に白の靴を履く時計職人だった。靴紐まで左右で違う。
「左右は別人です」
景は、姉妹で買った対の腕時計を机の両端へ置いた。
「見れば分かります」
「分かってないから来た」
刺すような言い方だった。茉莉が睨むと、景は赤い靴の爪先で姉の時計を、白い靴の方で茉莉の時計を示す。
二つは事故の時刻で同時に止まり、裏蓋の内側で記憶の歯車が絡み合っていた。
「姉の記憶を消してください」
「どこからが姉?」
問われ、茉莉は答えられない。菫が好きだった曲を、自分も昔から好きだった気がする。家族さえ二人を間違えた幼い頃、どちらが先に泣いたかも曖昧だ。
景は二本の時計を動かし、一つずつ質問した。
海が好きなのは。菫。
辛い料理が苦手なのは。茉莉。
事故の日、運転していたのは。菫。
助手席で眠っていたのは。茉莉。
最後の問いで、茉莉の喉が塞がる。
「私が起きていれば」
「それは記憶じゃない。仮定」
景は絡んだ歯車から、黒い髪ほど細いばねを一本抜いた。すると姉の恋人に会いたい衝動が薄れ、代わりに菫が事故前、助手席で眠る茉莉へ毛布を掛けた感触が戻った。
「菫は私を恨んでなかった?」
「死人の鑑定はしない。ただ、毛布は掛けた」
姉の時計は動かなかった。茉莉の時計だけが、一秒先へ進んだ。
景は左右の靴紐を結び直し、余った赤い紐を姉の時計へ、白い紐を茉莉の時計へ巻いた。
「左右は別人です。でも、離して置けとは言ってない」
茉莉は二本とも受け取った。片方を身につけ、片方を鞄へしまう。
店を出たガラス戸に映った顔は、まだ姉によく似ていた。それでも歩き出した足音は一人分で、赤でも白でもない、茉莉自身の速さを刻んでいた。