右ではなく、左へ
地下迷宮の分岐で、父ボルドは古びた地図を広げた。
「右が近道だ。俺についてこい」
カイルの視界に、前の人生の血が重なった。
右の通路を進んだ一行は、眠っていた岩竜の巣へ入った。父は息子をかばって炎を受け、骨すら残らなかった。カイルはその後三十年を戦い抜き、世界最強の剣士になったが、最後まで父の背中を越えられなかった。
魔王を倒した報酬として提示された願いに、彼は迷わず答えた。富も不老も提示されたが、父の笑い声一つより価値はなかった。
「あの分岐へ戻してくれ」
そして今、少年の腰には初級剣しかないが、技と記憶は最強のままだ。
「右が近道だ。俺についてこい」
「左へ行く。今日は俺についてきて」
以前とは違う返答に、父が笑った。
「迷宮一日目の坊主が、二十年潜った俺に道を教えるか」
「右は近道じゃない。墓への直通路だ」
カイルは左の壁へ剣を一度だけ当てた。最強になって得た《地脈聴き》を、初級剣の柄から石へ伝える。響きで空洞の先を読み、隠し扉を開いた。仲間たちが驚く間に、右の通路から地鳴りが届いた。
巨大な炎が分岐を横切り、右側の石壁を溶かす。熱風だけで松明が消え、仲間たちの顔が青ざめる。あと十歩進んでいれば、全員が呑まれていた。
ボルドは地図と溶けた通路を見比べ、無言で地図を畳んだ。父が死ぬ瞬間まで一度も曲げなかった背中が、今は息子の判断を認めてわずかに頭を下げる。
一行が左の安全地帯へ着いた時、父が全員の顔を数え直した。六人いる。その当たり前を確かめてから、探索記録が更新される。
《第一層・最短安全経路を発見》
《帰還可能人数:6/6》
《死亡者:0》
《ボルド――生存ルートへ移行》
前の人生では、同じ欄に父の名だけが赤く表示された。
ボルドは大きな手で、息子の肩を一度叩く。
「今日から地図はお前が持て」
「一日目の坊主だぞ」
「だから先が長い」
父が初めて自分の後ろへ立った。カイルは最強になった時より強く、剣の柄を握り直した。