名字で呼ぶ面会室

珠里が施設の面会室へ入ると、職員が言った。

「長女さん、こちらへ署名をお願いします」

机には、母の受診同意書、衣類購入票、緊急連絡網の変更届が重ねられている。珠里は母の入所時に第一連絡先へ登録され、それ以来、弟にも父にも確認されない用事が全部届いた。

施設からの着信音が鳴るだけで、珠里は仕事中でも廊下へ出た。弟へ転送すると「姉ちゃんが聞いたほうが早い」と戻され、父は「女同士で決めろ」と言った。第一連絡先は、連絡順ではなく最終責任者のように扱われていた。

母は窓際で、「お姉ちゃんが来たから大丈夫」と笑っている。

珠里は椅子に座らず、書類の一番上を戻した。

「今日は署名しません。まず連絡先を変更したいです」

職員が戸惑う。「ご家族の代表ですよね」

「代表になると同意したことはありません。私は月曜と木曜の午後だけ連絡を受けます。受診は弟、費用は父、衣類は私で分けてください」

母が「兄弟を困らせないで」と言う。

珠里は母の前へしゃがんだ。「困らせるんじゃないよ。私だけを家族にしないの」

母は唇を結んだ。珠里が結婚後の名字へ変えたときも、母は旧姓で呼び続けた。「家ではずっと同じ」と言って。今日の名札にも、旧姓の下に〈長女〉と印刷されている。

珠里は職員へ身分証を見せた。

「名札は現在の名字で、〈珠里様ご家族〉にしてください。長女ではなく名前で記録してください」

その場で弟と父へ電話をつなぎ、担当を確認した。弟は最初、「姉ちゃんがやったほうが早い」と言ったが、受診日のうち月一回を引き受けた。父は支払い窓口になることに同意した。

変更届には三人の連絡先が並んだ。珠里は衣類購入票だけを受け取り、母に必要な靴下の色を聞く。

「白じゃなくて、紺がいい」と母は答えた。

帰り際、職員が新しい名札を渡した。現在の名字と珠里の名前だけが書かれている。

母はそれを読み、「珠里、次は木曜?」と尋ねた。旧姓でも、お姉ちゃんでもなかった。

「再来週の木曜。来週は来ないよ」

母は少し寂しそうに頷いた。

珠里は名札を首から外さず、面会室を出た。家族であることは残しても、代表という役職まで持ち帰る必要はなかった。