味噌おにぎりの裏面
会社を畳む話を、共同創業者にまだしていなかった。
資金は来月で尽きる。追加融資も断られた。数字を先に見た僕だけが、終わりを知っている。相手は新機能の試作を続け、今朝も「あと二週間あれば形になる」と笑った。僕は笑い返し、夜になって逃げた。口座残高の表は何度更新しても変わらない。人件費を削る案も、自分だけ無給にする案も、二週間ほど終わりを延ばすだけだった。
初めて入った居酒屋の奥に、無口な常連が一人いた。古い名刺を眺め、捨てるものと財布へ戻すものに分けている。一枚を長く見たあと、捨てずに胸ポケットへ入れた。
焼き味噌おにぎりを頼んだ。網へ置かれた米が、ぱちぱちと乾いた音を立てる。焦げた味噌の甘い匂いが店に広がり、表面に塗られた味噌が泡を作った。皿に来たおにぎりは熱く、指で持つと海苔のない角から湯気が上がった。
一口かじる。表は硬く焼け、中心は柔らかい米のままだった。裏返すと、反対側の焦げ目は薄い。
「片面ずつだから」
店主は網の火を見ながら言った。
僕は、終了を告げることと、二人で次を決めることを、一度に済ませようとしていた。きれいな撤退案を作ってから話そうとして、何も話せないまま時間を焼いている。
奥の常連は名刺の束を輪ゴムで留めた。捨てた名刺も、胸へ戻した一枚も、理由を誰にも説明しなかった。決める前に並べて見せる相手が必要なこともある。
僕はスマートフォンで共同創業者へ、『明朝、資金の話をしたい。結論を一人で決めたくない』と送った。試作を止めるとは書けなかった。画面の数字は、送信したあとも赤いままだった。会社を続けられる見込みも増えていない。それでも、数字を自分の胸だけで焦がすのは今夜で終わりにする。
返信は『九時に行く』の一行だった。
最後の一口は、薄く焼けた裏側だった。味噌の焦げは弱く、そのぶん米の甘さが残っていた。熱は中心からまだ消えず、掌に移った温度だけが、明日の会話より先に確かだった。