国境門を開いた署名

 停戦記念宴の最中、北門から敵兵が侵入したとの急報が届いた。

 バルタシオン王太子は、外交婚約者エヴァンジェル・プリエスタを即座に指した。

「祖国の兵を引き入れたな。反逆者との婚約を破棄し、身柄を拘束する」

 異国出身の彼女へ、疑いは火より早く燃え広がった。エヴァンジェルは護衛に囲まれても、母国語で弁明しなかった。

 停戦のため、彼女は故郷の衣装を脱ぎ、この国の礼法を覚え、毎朝『人質姫』と呼ばれる回廊を歩いた。それでも国境の子どもが夜眠れるならよいと耐えてきた。バルタシオンだけは理解者だと思っていた。

 だが王太子は侵入報告を読む前から拘束鎖を用意していた。門が開いた時刻も兵数も確かめず、彼女の祖国だけを叫ぶ。これは捜査ではなく、停戦を壊すために最初から書かれた芝居だと、エヴァンジェルには分かった。

「国境門の非常開放権は、停戦婚約契約のどの条項ですか」

「第十四条だ。君も知っているはずだ」

「ならば、署名も残ります」

 停戦国大使バルトロメオが、両国で一通だけの契約原本を掲げた。第十四条は、非常開放を命じた者の名を門と契約へ同時に刻む。

 黒い文字が、王太子の名を形作った。

『開放命令者、バルタシオン。目的、停戦破棄の口実作成』

 契約の国境紋が赤く脈打つ。門から入った兵は停戦監視隊で、侵攻軍ではないことまで条項上は明白だった。王太子は安全な人数を選び、恐怖だけを最大に見せたのだ。

 宴席から音が消えた。

「目的欄は魔法の誤作動だ!」

「この条項へ真意記録を加えたのは、わたくしを監視するための殿下です」

 バルタシオンは拘束命令を撤回し、婚約も続けるから大使に黙るよう命じろ、と迫った。

 エヴァンジェルは指輪を国境線の上へ置く。

「停戦は守ります。あなたとの婚約だけ、ここで終戦にいたします」

 元婚約者へ背を向ける。バルトロメオが母国でも王宮でもない、中立回廊へ手を差し出した。彼女は自分で進路を決め、その手を取った。