墓室の石扉

砂丘遺跡の墓室で、発掘主任の石動が倒れた石扉の下に挟まれていた。扉は推定三トン。天井も脆く、現場で砕くことはできない。大型クレーンが砂地へ入るまで、遺体は足先しか見えないまま動かせなかった。

夜間調査に残ったのは考古学者の梅園、事業出資者の長谷倉、測量士の蓬田。石動は新発見を巡る捏造を疑い、翌朝、調査の中止を発表する予定だった。梅園は学説を、長谷倉は観光計画を、蓬田は測量データの信用を失う。三人とも石扉は老朽化で自然に倒れたと語った。長谷倉は『墓の呪いだと公表すれば客は来る』と冗談めかし、梅園は怒って黙らせた。蓬田だけが扉の重量と重心を細かく説明し続けた。

入口から扉までの赤土には救助隊の歩板を敷き、痕跡を増やさないようにした。照明も低くし、砂埃を舞わせず、私は三つの痕跡だけを見た。

第一。扉の側面には床から垂直に続く古い埃の境目があり、倒れた面だけが白い。何年も横たわっていた石ではなく、今夜まで立っていた。

第二。石動の靴底は不自然なほど清潔だった。入口から扉まで厚い赤土があるのに踏んだ跡がなく、死後に担ぎ込まれたと分かる。

第三。扉を墓室内へ引く側から橙色の合成繊維が伸びていた。蓬田の測量用手動ウインチから切り取られた牽引帯で、切断面の斜めの傷まで一致する。

蓬田は、倒れかけた扉を支えようとしただけだと主張した。梅園は扉の向きを見つめ、砂を噛むように唇を結んだ。

石扉は事故で倒れて石動を殺したのではない。蓬田は別所で殺した石動を清潔な靴のまま墓室へ運び、測量ウインチの帯を扉へ掛けて遺体の上へ引き倒した。垂直の埃線が扉の直前までの姿勢を、汚れていない靴底が死後搬入を、挟まれた橙色の帯が倒した道具を示す。仕掛けはウインチによる牽引一つ。三トンの石は犯人の盾になるはずだったが、切れた帯の端だけは下敷きにできなかった。 重さを知る測量士は、石が証言まで押し潰すと思い込んだのである。