夜勤明けの白いカップ
里桜が病院を出たのは午前四時二十分だった。
夜勤は終わったが、頭の中ではまだナースコールが鳴っている。廊下を走った足の感覚も、手袋を外したあとの乾いた指先も、白衣を脱いだだけでは消えなかった。
家へ帰る前に、里桜はコンビニへ寄った。
自動ドアの電子音が、病棟の機械音に少し似ていた。
店内の照明は明るすぎ、冷蔵ケースは一定の低音を出している。里桜は乳製品の棚を開けた。冷気が顔へ当たり、ようやく自分が外にいると分かった。
白いカップのヨーグルトを一つ取る。
同時に、隣の扉も開いた。
向こう側には清掃作業の制服を着た女性がいた。年齢は分からない。相手も白いカップへ手を伸ばしている。
二枚の扉が開き、冷蔵ケースの音が少し大きくなる。
ごう、と冷気。
店内放送。
天井の空調。
二人はそれぞれ一つずつヨーグルトを取り、同時に扉を閉めた。
ガラスが二度、少しずれて鳴った。
女性は里桜の首元に残った病院のストラップを見た。里桜は相手の袖口についた細かな埃を見た。どちらも何も言わず、ほんの少し頭を下げた。
それだけで通路を離れた。
レジではコーヒーマシンが洗浄中だった。内部で水が回り、透明な管を泡が上がっていく。里桜はヨーグルトと常温の水を買った。
店を出ると、空はまだ夜の色だった。けれど東の端だけ、黒が薄い。
さっきの女性は店内に残り、レジの向こうで会計をしている。ガラス越しに白いカップが一瞬見えた。
里桜は歩き出した。
病院の誰にも、今の疲れをそのまま渡すことはできない。家で待つ人もいない。眠ればまた次の勤務が来る。
それでも、夜の終わりに同じ棚を開け、同じような朝食を選ぶ人がいた。
それは励ましではなく、ただの事実だった。里桜にはそのくらいがちょうどよかった。
部屋へ着くと、カーテンを閉めたまま、テーブルでヨーグルトを食べた。白いカップの底をスプーンがこする。
眠るまでの静けさを、今日は自分だけで受け止められそうだった。