宛先はふたつ
「送り先は、一つにしてください」
出版社の発送室で、平野望海は河野雅弥へ何度もそう注意した。
雅弥は新刊見本を著者宅と編集部の両方へ送りたがり、伝票を二枚作る。望海は片方を破棄し、正式な宛先を選ばせる。それが二人の日常だった。
望海の大阪営業所への転勤が決まると、机に残った本をどこへ送るか尋ねられた。
金曜の夕方、二人は発売前の本を一冊ずつ持ち帰り、月曜に感想を交換していた。雅弥は結末を先に話し、望海は怒って栞を投げる。そんな小さな習慣まで引っ越し箱へ入れられないことが、転勤の準備で一番こたえた。最後の金曜、雅弥は本を選ばず、空の発送箱だけを組み立てていた。
「全部、新しい事務所へ」
そう答えながら、本当は東京にも何か残したかった。昼休みに雅弥と読んだゲラ、机の引き出しに並べた栞、毎週金曜の帰り道。けれど住所欄に感情は書けない。
最終出社日、発送室には望海宛ての小さな箱が二つ置かれていた。一つは大阪営業所、もう一つは新居の住所。差出人はどちらも河野雅弥。
「送り先は一つって言いましたよね」
「中身が違うので」
営業所宛てには仕事用の新刊。新居宛てには、二人が途中まで読んだ長編小説と、東京・大阪を往復する指定席券が三枚挟まれていた。最初は雅弥が大阪へ行き、次は望海が東京へ戻る。三枚目は中間の名古屋で隣席だった。
箱の底には新しい宛名シールがある。
《平野望海様》ではなく、《望海へ》。差出人も《雅弥より》。
望海は自分の社員証から旧部署のシールをはがし、雅弥の胸元に貼った。
「ここは正式な宛先ではありません」
「では、どこへ送ればいいですか」
望海は彼の手を取り、自分のスマホへ導く。連絡先の表示を《河野さん》から《雅弥》へ変え、三枚の切符の日付を予定表に登録した。
「私がいる場所へ。毎回、確認してください」
握った手は、発送終了の放送が流れても離れなかった。
送り先は一つにする。
けれど望海にはその夜、働く町と、会いに戻る人という二つの行き先ができた。