家鳴り通訳の内見

笹原依子の部屋は、午前二時になると彼女の名を呼んだ。

ミシ、ミシ、キイ。

最初は柱の音だった。それが日ごとにはっきりし、ついには床が「ヨ・リ・コ」と三度鳴るようになった。

〈梁瀬不動産〉の梁瀬響は、からし色のベストへ大小の音叉を何本も差していた。部屋の中央で一本を鳴らし、耳を澄ます。

「建物は、苦情を言います」

「私に出ていけって?」

「まだ通訳中です」

響は壁、床、天井へ順に音叉を当てた。家が軋むたび、手帳へ短い線を書く。依子にはどう聞いても自分の名前なのに、響は首を振った。

「『よりこ』ではありません。『寄り、五』です」

「何が?」

「水が五号室側へ寄っている」

五号室は真上だった。響が天井へ高い音叉を当てると、床下から別の軋みが返る。

――みず、とめて。

二人は階段を駆け上がった。五号室の呼び鈴に反応はない。管理用の鍵で入ると、浴室の給水管が外れ、水が廊下へあふれていた。住人は発熱で寝込み、音にも気づいていなかった。

響は元栓を閉め、救急相談へ連絡し、濡れた床へ自分のベストを敷いた。からし色の布がすぐ黒くなる。

「怪異じゃなくて、水漏れだったんですか」

「水漏れも怪異もあります。建物は配管図だけでは話しません」

依子は、自分が神経質だから音を名前に聞き違えたのだと思っていた。前の管理会社へ二度連絡したが、「木造だから」と取り合ってもらえず、三度目をためらっていた。

「もっと強く言えばよかった」

「聞かなかった側の仕事を、聞こえた側の責任にしないでください」

響は濡れたベストを絞り、最も小さな音叉を依子へ渡した。夜に音がしたら床へ当て、同じ音が返れば建物の声。返らなければ、ただの不安だという。

修理後、部屋は静かになった。依子が音叉を返そうとした夜、床が一度だけ、コトンと鳴る。

音叉を当てると、やわらかな響きが返った。

――ありがとう。

翌日、依子が伝えると、響は乾ききらないからし色のベストへ音叉を戻した。

「建物は、苦情を言います」

「今回はお礼でした」

響は少し考え、手帳の『五号室・漏水』に二重線を引く。

「訂正します。建物は、聞いてくれる相手に話します。苦情しか言えないのは、人間が手遅れまで聞かないからです」