展示室の小さな札
開館して七分後、由良は二枚の作品札が入れ替わっていることに気づいた。
海を描いた版画の下に、花の題名。
赤い花の油彩の下に、海の題名。
昨日、展示替えの最後に札を差し込んだのは由良だった。作者名は同じだが、制作年も技法も違う。すでに三人の来館者が、その前を通っていた。
由良は学芸員補助になって半年だった。
失敗すると、館内の狭いトイレで求人サイトを開く。向いていない証拠を一つ見つけるたび、別の仕事を検索する。応募はしない。逃げ道を眺めて、自分には今の場所にいる資格がないと確認するためだった。
今日も個室へ入り、スマートフォンを取り出した。
検索履歴の先頭に《未経験 事務 残業なし》がある。押せば、見慣れた募集が並ぶ。
展示室から、子どもの声が聞こえた。
「海なのに、お花って書いてある」
母親らしい声が「ほんとだね」と答える。
由良は求人サイトを閉じた。
事務室へ戻り、主任に報告する。「作品札を二枚、逆に設置しました。現在も展示中です。五分だけ入室を止めて、交換させてください」
主任は監視スタッフへ無線を入れた。由良に渡されたのは叱責ではなく、展示室の鍵だった。注意は閉館後に受けるのだろう。
来館者に少し待ってもらい、二枚を差し替える。海の下へ海を、花の下へ花を置く。作業は一分もかからなかった。
再開後、先ほどの親子が戻ってきた。子どもは札を読み直し、今度は何も言わなかった。
由良は事務室で事故記録を書く。発見時刻、通過人数、原因。最後の《担当者所見》に、いつもなら《適性不足》と書きたくなる。
今日は、《閉館時の札照合を二名で実施》とだけ入力した。
昼休み、スマートフォンには求人サイトの閲覧再開通知が出た。
由良は通知を消し、館の中庭へ出た。ベンチに座る資格があるかどうかを考えず、持ってきたパンを開く。
展示室では、小さな札が正しい場所に置かれている。由良の失敗も、由良の席も、今日はどちらも消さなかった。パンの袋を畳み、午後の鍵を受け取りに戻った。