川下に置かない家
堤防が切れ、下流町の住民が百人、泉里へ避難してきた。
仮小屋は建ったが、洗い水と汚れ水が同じ溝へ流れ込み、泉里の住民は井戸が濁ると恐れた。
避難民側も「井戸を使わせないなら川から直接汲む」と言い出した。そうすれば病は下流だけでなく全体へ回る。
「川下へ追いやればいい」
村会では、その案が多数だった。
管理官オルフェは地図を広げ、追いやる場所ではなく水の流れに線を引いた。
飲み水の井戸から百歩以内は洗濯禁止。この禁則は仮小屋だけでなく、以前から井戸脇で染物をしていた村長宅にも適用する。洗い場は上流と下流に一つずつ、同じ構造で設ける。汚れ水は砂利槽を三段通す。維持費は市場で売れた品の五十分の一。住民も避難民も同率で、使途と修繕日を井戸端に掲示する。
「仮小屋の者は市場で売る物がない」
泉里の商人が言う。
「なら納付はゼロです。水を飲む権利に売上は要りません。働いて払う義務もありません。濾過槽の管理人は税から賃金を出して雇います」
村長が自宅の洗濯台を移すと知り、避難民側も初めて地図の前へ集まった。
避難民の石積み職人が地図を覗き込んだ。
「三段目の角度が浅い。これでは大雨で戻る」
彼は代案を描いた。泉里の陶工は濾過用の穴あき壺を焼くと言い、商人は最初の売上税を前払いした。
誰にも労役を課していない。
だが自分の子が飲む水だと分かれば、古参も新参も黙ってはいなかった。
工事中、帳簿には壺一個の値段まで記された。避難民の少年が誤って共同溝へ泥を落とした。
以前なら怒鳴られていた。泉里の老婆は箒を二本持ってきて、一本を少年へ渡した。
「流れは皆のものだ。二人で戻そう」
完成の日、オルフェは上流の洗い場で青い染め布をすすがせた。
皆が下流の井戸を見守る。水は透明なままだった。
歓声より先に、老婆が柄杓で一杯飲んだ。
少年も同じ柄杓を受け取る。
井戸端には二枚の札が並んだ。
『飲み水』
『修繕帳簿は裏面』
風に揺れた札の下で、泉里の子と避難民の子が、同じ水桶を両側から持ち上げた。