帰ると答えた夜

砂原俊臣は、祖母の法事で十年ぶりに遠帰村へ戻った。二十七歳。仕事を理由に祭りを避けてきたが、その晩は「帰らず祭」と重なった。

村では、外へ出た者の名を祭りの名簿から消さず、『帰路中』と書き続ける。俊臣の父も上京して三十年なのに帰路中のままだった。祖母は生前、誰かが帰ると言えば、家だけ先に着くことがあると笑っていた。俊臣はその言葉を、認知症の始まりだと思っていた。

従兄から届いた家族チャットには、短い注意が固定されていた。

《「どこへ行く」と聞かれても、「帰る」と答えてはいけない》

祭りでは、住民が提灯を持って夜道を歩き、道端の誰かに行き先を尋ねられても無言で通る。俊臣は参列せず、宿へ戻るため一人で旧道を歩いた。

旧道には空き家ばかりなのに、障子の向こうから夕食の匂いとテレビの笑い声が漏れていた。俊臣が通るたび、玄関灯が一軒ずつ点き、内側で鍵が外れた。

墓地の脇で、祖母に似た声がした。

「俊ちゃん、どこへ行くの」

振り向いても誰もいない。疲れていた俊臣は、考えず一度だけ答えた。

「帰るよ」

提灯の列が一斉に消えた。闇の中で、何十人もの声が「どこへ」と聞き返した。俊臣は走って宿へ戻り、翌朝には村を出た。

乗車券アプリの行先も東京ではなく『砂原家』へ書き換わり、到着時刻は祖母の死亡時刻になっていた。

新幹線の中で、東京の自宅を管理するスマートホームアプリが通知した。

《玄関ドアが解錠されました》

合鍵は誰にも渡していない。室内カメラを開くと、暗い廊下に提灯の光が列を作っている。先頭には祖母がいて、その後ろに俊臣が立っていた。映像の俊臣は濡れた喪服を着ている。

家族チャットにも妹から投稿があった。

【妹】兄ちゃん、今そっち?

【俊臣】新幹線。

【妹】じゃあ、実家の仏間で「帰った」って言ったの誰?

同時に、自宅のスマートスピーカーが遠隔通話を開始した。スマホから、いつもの女性音声が流れる。

《俊臣さん、おかえりなさい》

続いて、廊下の俊臣がカメラへ顔を近づけた。

「ただいま。お前はどこへ行く?」

音声アシスタントの返答欄には、俊臣が入力していない一語が表示されていた。

《帰る》