廃炉日誌の最終文
燃料デブリ回収試験の開始前、沢渡英至の作業端末へ午後六時から一文が届いた。
〈測定器Bを先に校正しろ。〉
制御室には黄色いチョークと、乾いた線量計のクリック音。十八時までに試料容器を遮蔽庫へ入れれば、国内初の工程成功。英至は現場責任者へ昇格し、二十年遅れた廃炉計画は前へ進む。
測定器Bを校正すると、ロボットは途中まで進んだが配管へ接触した。警報。視界が白くなり、また開始前。
二周目は関節角度、五周目は冷却水量、八周目は作業員の退避順を一文で送った。黄色いチョークで床に同じ円を描き、線量計のクリックを数える。
〈B先校正、腕角度−4、冷却12%増、17:42全員退避。〉
十二周目、試料容器は十八時の三秒前に遮蔽庫へ入った。制御室に拍手が起き、国の中継画面へ「工程成功」の文字が出た。
成功を固定する直前、英至は測定器Bの生データを開いた。校正後の値に、自動で〇・一を掛ける補正係数が設定されている。実際の線量は公表値の十倍。過去の責任者が工程を止めないため入れた係数を、英至も周回のたび見ないふりをしていた。成功した未来では、作業員の被曝記録まで正常値として確定する。
端末が起点の一文を求める。
黄色いチョークは、何度描いても同じ長さへ戻った。英至はそれを折った。
〈作業を停止し、補正前の線量データを報道機関と作業員全員へ送れ。〉
開始前。
英至は非常停止を押し、生データを外部へ送信した。回収試験は中止。国家機密漏えいで逮捕され、退職金と技術者資格を失った。廃炉工程は少なくとも五年遅れると報じられ、世間は彼を英雄とも裏切り者とも呼んだ。元同僚からは作業員の雇用を奪ったと責める手紙が届き、家族は取材を避けるため引っ越した。英至はどちらの呼び名にも返事をしなかった。
拘置所の時計が十八時一分を指した。クリック音も拍手もない。
英至の指には、折れた黄色いチョークの粉が残っていた。成功の線を引けなくなった代わりに、数字だけはもう小さくならなかった。