後輪の泥はね

荒牧深雪と江波戸累は、どちらが先に駅へ着くかで毎朝競っていた。

深雪は自転車、累は陸上部の脚。信号二つ、坂道一つ、踏切一つ。勝敗は五分五分だった。

その日は放課後に雨が降り、通学路の工事区間が泥だらけになっていた。深雪が校門で自転車にまたがると、累が横で屈伸を始めた。

「今日はやめようよ」

「負ける言い訳?」

「靴、白いでしょ」

「勝てば正義」

合図もなく、累が走り出した。深雪も追う。雨上がりの空気は冷たく、タイヤと靴が同じ水音を立てた。互いの顔は見えなくても、どちらも笑っているのが分かった。

最初の信号は同時。坂道で深雪が前へ出る。累は水たまりを跳び越え、車道脇を駆けた。

勝負を始めたのは去年の春、遅刻しそうな朝に偶然並んだからだった。最初は一度きりの競争だったのに、翌日も累が校門で待っていた。その次の日は深雪が待った。今では遅い方が、駅の売店で勝者の飲み物を買う決まりになっている。誰にも説明していない二人だけの部活だった。

工事区間に入った瞬間、深雪の後輪が泥を巻き上げた。

「うわっ!」

振り返ると、累の白いシャツに茶色い点々が散っていた。深雪は笑い、前を向いた。その直後、前輪がぬかるみに取られた。

自転車が傾く。累が横から荷台をつかみ、倒れる寸前で支えた。

「反則!」

「助けたんだけど!」

チェーンが外れていた。深雪が直そうとするが、指が滑る。発車時刻まであと六分。

累は自転車の前にしゃがんだ。

「乗れ」

「どこに」

「荷台。俺が押す」

深雪が座ると、累はハンドルを持って走り出した。ペダルをこぐ者のいない自転車が、泥道をがたがた進む。

「これ二人乗りじゃない?」

「俺、乗ってない」

「じゃあ何」

「人力車」

駅前の坂を、累は最後まで走った。ホームへ駆け込み、二人は同時に電車へ滑り込む。

扉が閉まってから、顔を見合わせた。深雪の靴も、累の制服も、泥だらけだった。

「今日はどっちの勝ち?」

深雪が聞くと、累は息を整えながら手を上げた。

「駅に着いた方」

深雪もその手を叩いた。泥のついた手のひら同士が、乾いた音を立てた。