心拍を返す日

歌手・穂積ミオの心臓を移植されて半年、久我山栞の端末に、ミオ本人が予約した新曲が届いた。提供者の情報は本来伏せられるはずだったが、ミオは生前、受け取る人が望んだ時だけ届くよう弁護士へ託していた。栞は三日迷って、再生を許可した。

タイトルは『RETURN』。

イントロのキックが鳴った瞬間、栞は胸を押さえた。音源に使われているのは、手術前に記録されたミオの心拍だった。少し速く、二拍目だけ弱い。今、自分の中で打つ鼓動と同じ癖がある。

「返して」

ミオの声は幼く、暗いシンセの底から浮かんだ。

ジャケットには、胸の位置から一本のコードが伸び、画面の外へ続いている少女が描かれていた。

栞は再生を止めかけた。移植後、ミオのファンから「心を盗んだ」と書かれ続けていた。顔も住所も晒され、ライブへ行く資格はないと言われた。死者からまで返せと求められる気がした。

栞は移植前、十歩歩くたび立ち止まっていた。今は駅の階段を上れる。その喜びを口にするほど、誰かの死を喜んだように感じて黙ってきた。

Aメロでは、病室の機械音がリズムになる。点滴の落下、酸素の流れ、看護師の足音。その合間にミオが笑い、録音スタッフへ「怖く聞こえる?」と尋ねる。

「いつか、誰かへ」

サビで心拍は倍の速さになり、栞の鼓動もつられて上がった。歌詞表示はその二語だけ。だが最後のブリッジで、伴奏がすべて消え、ミオの話し声が残る。

「この心臓が次の人の中で止まったら、使えるものはまた返して。目でも、骨でも、歌でも。私で終わらせないで」

栞は胸から手を離した。

再生画面には、ミオが生前に登録した臓器提供の意思と、この曲の収益を移植医療へ寄付する設定が表示された。コメント欄の言葉も、少しずつ責める声から祈る声へ変わっていく。

最後の一音で、録音された心拍は止まった。

しかし無音の部屋では、栞の胸がその続きを打っている。

「返して」

それは奪った命を死者へ返せという呪いではなかった。

借りた時間を抱えて生き、いつか別の誰かへ手渡すための、未来形の約束だった。