心電図のライム
細蟹ミユの病室ライブは、心電図が止まったあとに最後の歌詞を表示した。
担当医の鹿島匡は、医療監査室で録画を見ていた。重い心臓病だったミユは、寄付を集めるため一曲だけ配信し、その夜に死亡した。匡は突然の急変だったと報告している。実際には、未承認薬の投与後から脈が乱れ、ミユは何度も中止を求めていた。治験の失敗が公になれば、匡の研究費も地位も失われる。病室ライブは、順調に回復していると見せるための舞台だった。
曲のテンポは心電図の電子音に合わせていた。ミユの母はベッド脇で手を握り、歌う前に囁いた。
「もう休んでいい。無理しなくていいから」
ミユは首を振り、最後まで歌うと言った。
二番の途中で声が揺れる。サビへ入る直前、匡は鎮静剤を投与した。苦痛を減らす標準量だった、と記録にはある。だが画面の心拍は急に遅くなり、歌声も母音だけになる。
最後の一音。心電図が一本の線へ変わる。
その直後、配信字幕に一行が出た。
〈眠っていい〉
歌詞データにはない。監査官が「本人の即興ですか」と尋ねる。匡は頷こうとしたが、ミユの口はもう動いていなかった。画面右下では投薬時刻と心拍低下が同じ秒へ重なっている。匡が改ざんした診療録だけが、投与を八分後としていた。
録画の音声を分離する。配信用マイクは歌の終了と同時に切れる設定だったが、遅延のため二秒だけ病室の声を拾っていた。母がナースコールへ手を伸ばす音。警報。そして匡の声。
――眠っていい。もう蘇生しなくていい。
母が「まだ反応がある」と叫ぶ。匡は答えない。投与量の記録を改ざんするため、蘇生より先に端末を操作している。
同じ一行が字幕欄に残った。
それはミユが自分を慰める歌詞ではなかった。医師が生きようとする患者へ下した、記録にない命令だった。
監査官が停止キーを押す。最後の心電図音だけが耳に残る。
「眠っていい」
匡が同じ言葉を思い出した時、その意味は安らかな休息ではない。
医師としての自分を、二度と目覚めさせない証拠になっていた。