怖がれない人
御厨冬至は毎朝、玄関を出る前に治安アプリで恐怖スコアを測る。自分では平気だと思っていても数字だけ高い日があるので、傘を確認するのと同じ調子で見る。冬至はたいてい十四だった。
深夜二時、恋人の紗季から着信が来た。
「知らない人が、部屋にいる」
声は不自然なほど平らだった。物音を立てないよう、浴室に隠れているという。紗季は子どもの頃、火事に遭ったときも泣かなかった。炎を見ながら、避難靴を左右きちんと履いた人だった。
冬至は通報画面を開き、紗季を三者通話につないだ。この国では、緊急出動は通報者の恐怖スコア八十以上で確定する。いたずら通報をなくした、一つだけの基準だった。
「危険の内容を話してください」
機械音声に、紗季は小さく答えた。
「男の人が包丁を持っています」
《恐怖スコア十七。緊急性を確認できません》
「紗季は怖いと固まるんです。昔からそうなんです」
《代理申告は受理されません》
通話口の向こうで水滴が落ちた。規則正しい音の間に、廊下を踏む足音が混じる。冬至の恐怖だけが七十、七十五と上がったが、住所の外にいる者の数値には出動権がなかった。
冬至は自転車を飛ばした。電話の向こうで、浴室の取っ手が一度動いた。紗季は息さえ乱さない。
「怖いって言え。叫べ」
「声が出ない」
十一。
そのとき男の声がした。
「誰と話してる」
何かが倒れ、通話が遠くなった。数秒後、同じ住所から別の緊急通報が入ったという通知が冬至へ届いた。
《通報者:室内侵入者》
《恐怖スコア八十六。警察を出動します》
男は、紗季が浴室から持ち出した掃除用の柄を見て恐怖を感じたらしい。出動は男を守るために確定した。
冬至が着いたとき、警察官は紗季を床へ伏せさせていた。侵入者は毛布を掛けられ、救急隊に手当てされている。
「この人が勝手に入ったんです!」
冬至の恐怖は九十二だった。警察官の端末が彼を赤く囲む。
《新たな高恐怖者を確認。現場不安定化要因として隔離します》
紗季は顔を上げた。頬に血がついているのに、数値は六だった。
「大丈夫」と彼女は言った。
その言葉だけが、機械には正しく見えた。