憂鬱のない作曲家
鬼無里史苑は、憂鬱を消してから一曲も完成させられなかった。
彼女の音楽は、長い冬と眠れない夜から生まれた。聴衆は「痛みを音に変える作曲家」と呼び、史苑自身もそう信じていた。だが四十歳の春、舞台袖で動けなくなり、医師から感情調整チップを勧められた。
治療後、朝は明るく、食事はおいしく、友人の誘いにも応じられた。死にたいと思わない日が続いた。それなのに五線譜の前へ座ると、音がどれもきれいに並ぶだけだった。
事務所は不調を心配し、チップを一時解除する創作プランを提案した。苦しみを必要な時間だけ戻し、作品ができたら再び鎮静する。史苑は予約画面を見て吐き気がした。以前なら、その吐き気さえ旋律にしただろう。
「治った私には価値がないんですか」
担当者は答えなかった。
史苑は仕事を休み、町の児童館で古いピアノを弾くボランティアを始めた。子どもたちは彼女の経歴を知らず、速い曲をせがみ、途中で飽き、鍵盤を勝手に叩いた。三歳の男の子は同じ低音を十九回鳴らし、満足して帰った。
その夜、史苑は低音十九回から始まる短い曲を書いた。美しくも深くもなく、途中に子どものくしゃみをまねた休符があった。完成したとき、かつての恍惚は来なかった。ただ「明日、聞かせたい」と思った。
史苑は少しずつ、悲しみ以外の理由で音を集めた。市場の店じまい、友人の早口、雨樋の故障。感情が平らな日は、出来事の形をよく見られた。
復帰公演で、新作は賛否が分かれた。「以前の切実さがない」と書かれた批評もあった。史苑は傷ついたが、チップは落ち込みを深くしすぎないよう支えた。
終演後、児童館の男の子が母親に連れられて来た。
「ぼくのドン、あった」
史苑は笑った。その喜びは大きくなかったが、誰にも見せるためでなく、長く残った。
彼女はチップを外さなかった。苦痛を芸術の燃料として保存する契約も断った。
以前の曲が嘘になったわけではない。あのころの自分が生き延びるために必要だった。今は、生き延びたあとにも音楽があるか確かめている。
史苑の新しい代表作は、低音が十九回鳴る、明るくも暗くもない三分間の曲になった。