拍手の前で切れる

根岸乙葉が朗読会へ出なくなったのは、拍手が怖くなったからではない。

二年前、舞台で詩の一行を忘れた。沈黙は五秒ほどだったのに、乙葉の中では今も続いている。その後に書いた詩は、机の前で時間を測るだけで、誰にも読ませなかった。続きを言えずに頭を下げたとき、客席から起きた拍手が、慰めなのか終了の合図なのか分からなかった。

「針先劇場」で、古いライブ盤を見つけた。ジャケットには満員の小劇場。帯に〈伝説の最終公演・完全収録〉とある。

試聴を頼み、最後の曲まで飛ばしてもらう。

歌手は息を切らしながら歌い終えた。客席が息を吸う気配がして、そこで音が切れた。拍手は入っていない。溝もそこで終わっている。

「完全収録じゃないですね」

乙葉が言うと、店主は帯を外し、裏面の小さな但し書きを見つけた。〈原盤損傷により終演直後まで〉。店主は帯の「完全」の横へ、細い鉛筆で星印を付けた。値札も少し下げる。

「返品できますか」

「説明と違えば。これは説明を直します」

店主は新しい商品カードに、〈最終曲終了まで収録。拍手部分なし〉と打ち直した。演奏がなかったとは書かない。拍手が録れなかっただけだ。

乙葉は、申し込み途中の朗読会ページを開いた。

出演枠は残り一つ。持ち時間は五分。二年前の詩を読み直す必要はない。新しい詩は、四分二十秒で読める。題名を含めても、三十秒余る。忘れたときに息をする時間として残しておける。もし一行飛ばしても、終わりまで行けばいい。

会計を済ませると、店主はライブ盤を、昔の公演チラシを再利用した紙で包んだ。紙の端に、出演者募集の文字が残っている。偶然だろう。店主は気づかず、テープで留めた。

乙葉は出演フォームの題名欄へ、新しい詩の名を入力した。

希望順を選ぶ欄では、一番目を押す。待っているあいだに怖くなる時間を減らしたかった。

申し込みを送る。

受付番号が表示されても、拍手は聞こえなかった。

それでよかった。

乙葉は演奏の終わりまで入ったレコードを持ち、まず五分間の始まりだけを確保した。