指示語だけの調書

長柄杏奈刑事は、四十三分の録音を最後まで聞いた。

殺人罪で服役する室鳩結人の「自白」だった。知的障害のある室鳩は、取調べで短い言葉しか返していない。

――そこへ行ったな。

――はい。

――それで、これを持った。

――はい。

――あいつを、こうしたんだな。

――……はい。

録音の中で、場所も、凶器も、被害者の名も、行為も、すべて樽見忠則取調官が口にしていた。室鳩の言葉は《はい》《そこ》《それ》だけだった。

机上の供述調書には、整った一人称でこうある。

《私は東口倉庫へ赴き、鉄製ハンマーで被害者の後頭部を二回殴打した》

樽見は現在、長柄の所属する署の副署長だ。再審への回答案には、《録音上も被告人は任意かつ具体的に供述》と書かれている。

内線が鳴った。

『聞き終わったか。判決も自白の信用性を認めている。余計な評価はするな』

「室鳩本人は、具体的な名詞を一度も言っていません」

『質問に肯定した。十分だ』

「調書は誰の言葉ですか」

受話器の向こうで沈黙があった。

『組織の言葉だ。だから裁判所に通った』

長柄は回答案のチェック欄を見た。《自発性あり》《秘密の暴露あり》《誘導なし》。三つに印を付ければ、明朝には検察へ回る。判決が『秘密の暴露』とした倉庫の青い扉も、録音では樽見が先に《青い扉から入ったな》と告げていた。室鳩は色を一度も言っていない。警察が教えた答えを、警察が秘密と呼んだのだ。長柄自身、三年前の研修でこの調書を《模範的な落とし方》として読まされていた。その時の講師も樽見だった。

彼女は録音をもう一度再生した。室鳩が一度だけ、はっきり言った箇所がある。

――分からないけど、はいって言えば帰れますか。

長柄は三つの欄を黒く塗りつぶした。代わりに《自発性なし》《秘密の暴露なし》《供述調書虚偽作成の疑い》へ印を付ける。

作成者欄には樽見の名、告発者欄には自分の名を入力した。

副署長室から足音が近づく中、長柄は録音ファイルを添付し、検察と再審係へ回答書を送信した。