指輪はポケットに
伏見絹は、式場近くのコンビニでコピー機を占領していた。
桐生遥が駆け込むと、絹はドレス姿のまま、二十枚近い書類を一枚ずつ複写していた。左手の指輪は外され、コピー機の脇に置かれている。
二人が結婚前に作った財産契約書だった。絹の実家には父の事業で残った債務があり、新郎の資産と切り分けるため、弁護士を通して合意したはずだった。ところが今朝、署名済みの原本を確認すると、最後の二ページが差し替えられていた。絹が将来得る収入を共同管理にし、離婚時には新郎側が指定する口座へ移す条項が増えている。
「彼は、親が直しただけって」
新郎は内容をよく読まず、式が終われば説明すると言ったという。
遥は契約で愛情を測るのが嫌いだった。結婚するときに離婚の条件を決めるなんて縁起が悪い、と絹にも言った。自分なら一枚も作らない。それでも、署名後の紙を黙って差し替えることまで、愛の勢いで片づけられなかった。
「原本は?」
「向こうの控室」
遥はコンビニの店員に、コピー機の利用をあと十分延ばせるか聞いた。絹にはページ番号を読み上げてもらい、抜けがないか照合する。二人で一部ずつ持ち、式場へ戻った。
新郎の控室には親族が集まっていた。遥は絹の代わりに怒鳴らず、「書類を確認します」とだけ言った。絹が原本を受け取り、差し替えられた箇所へ付箋を貼る。遥はその場で全ページを撮影し、時刻が残るよう自分宛てに送った。
「式だけ先に」と新郎の父が言った。
絹は答えず、指輪を外した左手で書類を封筒へ入れた。破りもしない。燃やしもしない。証拠と、話し合う余地を同じ袋に残した。
遥には、絹が結婚を続けるなら契約を捨ててもいいと思う気持ちがまだある。絹には、契約を守れない相手と暮らせない気持ちがある。二人の考えは平行なままだった。
式の中止が決まり、会場スタッフが控室の鍵を閉める。絹はコピーを一部、遥に預けた。遥は自分のクリアファイルへ入れ、折れないよう胸に抱えた。
コンビニに置き忘れた指輪を思い出し、二人で取りに戻った。
指輪はまだコピー機の横にあった。絹は拾って薬指には戻さず、ドレスのポケットへ入れた。遥も預かった書類を鞄の内ポケットへしまった。
二人は同時にファスナーを閉めた。