新人は床にバミられた
小劇場の新人俳優、鞠山理央は、舞台監督から「立ち位置をバミっておけ」と言われた。
意味を尋ねる前に、先輩俳優が教えてくれた。
「動かないように印を付けるんだ。主役は赤、脇役は青、死体は白」
理央は自分が青だと確認し、青いビニールテープで両靴を床へ固定した。
舞台監督が戻ってきた。
「何してる?」
「バミりました。動けません」
「靴を貼れとは言ってない。位置に小さく印を付けるだけだ」
「小さくとは聞いていません」
見ると理央は両足だけでなく、腰の位置、視線の方向、右手を上げる角度まで、床から伸ばしたテープで固定していた。舞台上に青い蜘蛛の巣が完成している。
理央は謝り、テープを剥がそうとしたが、粘着力が強く靴底ごと床に残った。
そこへ演出家が入ってきた。
「次の場面、全員バミリどおりに。理央は上手から走り込んで中央」
「走れません」
「なぜ」
「バミったからです」
「バミリは動き始める位置で、終身刑じゃない!」
演出家が合図しても、理央は上半身だけで必死に走る演技をした。腕の振りだけは見事で、演出家は怒るより先に笑ってしまった。
演出家は舞台監督を見た。
「新人に何を教えた」
舞台監督は先輩を見た。先輩は目をそらした。
スタッフ総出で靴を剥がす間、理央は用語を確認した。
「バミるの語源は?」
「『場を見る』とも、別の説とも言われる。とにかく床の目印だ」
「では『死体は白』は?」
「死体役の立ち位置を白テープで示す」
「死体を白いテープで固定するのでは?」
「固定しない」
ちょうど死体役の俳優が来て、床の白印を見失った。
先輩が冗談で言った。
「理央、死体もバミっといて」
理央は真顔で白テープを手にした。
死体役は全力で逃げた。
初日の本番、理央は正しい青印に立った。演技も成功し、カーテンコールで一歩前へ出ようとした。
靴が動かなかった。
先輩がいたずらで、また床へ貼っていたのだ。
観客は理央の必死の笑顔を「役への執念」と受け取り、その夜いちばん大きな拍手を送った。