星が消える前のコーヒー
大鳥居圭は、休日の午後にプラネタリウムへ行く。
子どもの頃から星が好きだったわけではない。暗い場所で、誰にも話しかけられず、上を向いていられるのがよかった。
その日の演目は「冬の星座」だった。
客席は半分ほど埋まり、圭は一番端の席を選んだ。隣に荷物を置けるわけではないが、誰かの出入りを気にしなくて済む。
照明が落ち、天井へ星が広がる。
解説員の声が、オリオン座、冬の大三角、シリウスと順番に名前をつけていく。
圭は最初、全部覚えようとした。けれど仕事の研修のようで疲れ、途中から名前を追うのをやめた。
青い星、赤い星、すぐ消える流星。
名前が分からなくても、光はそこにあった。
暗闇の中で深く息をすると、隣の人の気配は遠く、自分の呼吸だけが胸へ戻ってきた。
星座の線が天井へ結ばれていくたび、圭は名前を覚えられなくても、点が誰かの手でゆっくり物語になる様子だけは好きだと思った。
後半、圭は少し眠った。
目を開けると、夜明けの演出で空が淡く白んでいる。せっかくの番組を見逃したと思いかけたが、誰も採点しない。眠るほど安心したのだと思えば、それも悪くなかった。
上映後、建物の屋上へ上がった。
街の空は明るく、本物の星は一つも見えない。自動販売機で缶珈琲を買い、冷たいベンチへ座る。
缶の熱が手袋越しに伝わり、蓋を開けると甘い香りが上がった。
プラネタリウムでは何千もの星が見えたのに、屋上には雲しかない。
それでも圭は空を見上げた。見えないものを想像するためではなく、首を上へ向けた姿勢が心地よかったからだ。
しばらくして、雲の薄いところに小さな点が一つ見えた。
星か飛行機か分からない。圭は調べなかった。
名前をつける前の光として、珈琲を飲み終えるまで眺めた。
帰りの階段で、館内の暖房と金属の匂いがした。
コートのポケットには空の缶があり、掌にはまだ温度が残っている。
圭は次の演目の予定を調べずに駅へ向かった。知らない星を残しておくと、休日の空が少し広くなる気がした。