最後の一手は自動
午後九時十二分、公開対局中の棋士、葛城野玄馬が控室で死んでいるのが見つかった。頭部を盤で殴られていたが、オンライン盤には一分前、玄馬の指した「七六歩」が送信されている。相手棋士も満員の観客もなお皆、会場の巨大スクリーンに映るその一手を生で見ていた。
容疑者は対局ソフト技師の宇治橋零、弟子の花房奏太、主催企業の蓮台野美緒。三人は九時から会場の解説舞台に並び、配信映像から一度も外れていない。控室は廊下の奥にあり、入口には係員もいて、往復には五分かかる。九時十一分に玄馬が生きていたなら、全員にアリバイがある。
玄馬は開演前、宇治橋のソフト使用を公表すると言い、花房を破門し、蓮台野には協賛契約の解消を告げた。三人は八時四十分まで控室へ出入りしたが、八時五十分には観客の前へ出ている。医師の推定死亡時刻は八時四十分から九時十五分と幅があった。
端末に残った手掛かりは三つだけだった。第一に、九時以降の玄馬の着手は、相手の手から毎回きっかり五秒後に送られていた。第二に、画面記録には駒が動く直前のマウスカーソル移動が一度もない。第三に、端末では「定跡応答試験」という小さなプログラムが動き、その作成者欄は宇治橋の技師番号だった。
公開対局の序盤は、主催者が指定した定跡から始まる。数通りの応手を先に登録しておけば、相手の着手を読み取り、決まった一手を自動で返せる。九時十一分の一手は、玄馬の意思を必要としなかった。
「最後の一手を指したのは死者ではありません」私は端末を閉じた。「宇治橋さんは八時五十分までに玄馬さんを殺し、定跡への応答を五秒後に送る試験プログラムを起動した。一定の五秒、消えたカーソル操作、あなたの技師番号がそれを示します。花房さんと蓮台野さんは真の犯行時刻にはすでに客前にいた。三人の九時十一分のアリバイは完璧ですが、その時刻に生きていたのは対局者ではなく、彼の代わりに指すプログラムだけでした」