最後の弁当箱
雨杣朔仁は、毎朝自分で弁当を詰めた。
前夜の煮物と卵焼き。妻の八代瀬真帆里は、それを“節約しかできない夫”と笑った。
「久留間さんなら、昼に五千円払っても気にしないのに」
久留間雄志郎は、真帆里が口座相談をしていた銀行の支店次長だった。
朔仁が二人の関係を問いただすと、真帆里は高級レストランの袋を振った。
「証拠もないし、あなたの少ない貯金じゃ弁護士も雇えないでしょ」
朔仁は空の弁当箱を食卓へ置いた。
中から出したのは、銀行の調査報告書だった。
雄志郎は業務端末で朔仁夫婦の口座を無断閲覧し、定期預金の解約時期を真帆里へ教えていた。閲覧回数は八十六回。相談予約のない休日や、二人がホテルにいた時刻にもアクセスしている。真帆里は偽造した委任状で共同貯蓄を引き出し、二人の旅行、宝飾品、食事へ使っている。
銀行の窓口カメラ、署名画像、端末ログ。ホテルの宿泊記録と、真帆里が宝石店で話した音声まで、すべて日時がつながっていた。宝石店の防犯映像では、雄志郎が朔仁名義のカードを差し出し、真帆里が暗証番号を入力していた。
『夫は弁当代を削ってる。私たちはその分、いいものを食べよう』
録音が止まる。
銀行の監査担当は雄志郎へ懲戒解雇を通知し、不正利用した情報と送金について返還・損害賠償を請求した。偽造書類は警察への相談対象にもなる。
朔仁の代理人は、真帆里と雄志郎へ不貞慰謝料、使い込み、調査費用を合算した請求書を渡した。
真帆里の両親は、娘のために用意していた実家の離れを貸さないと告げた。父は、結婚時に渡した資金を朔仁へ返し、娘への援助を終えると宣言する。
真帆里は青ざめた。
「朔仁、私、行く場所がない」
彼は最後の弁当箱を閉じた。
「僕が削っていたのは無駄で、君が削ったのは信用だ」
監査担当が雄志郎の行員証を回収し、銀行が使い込み分を朔仁の口座へ仮補填する。
弁当箱の留め具が鳴った瞬間、安い昼食を笑っていた二人には、高すぎる請求書だけが残った。