最後の当番は私
佐和は有給申請の画面を開いたまま、理由欄に何も書けずにいた。
体調不良ではない。用事もない。ただ疲れている。それだけで休む資格があるのか分からなかった。
鞄の内ポケットに、四人で回した交換日記の切れ端が入っている。
高校時代、綺羅は恋の話、穂実は家族の愚痴、あずさは進路の迷いを書いた。佐和はいつも最後の当番だった。三人の文章を読み、励まし、喧嘩の間を取り持ち、自分の頁には明るい出来事だけを書いた。
〈佐和は悩みなさそうでいいね〉
そう書かれると、役に立てている気がした。
卒業式の前日、最後の一周が回ってきた。
綺羅の頁も、穂実の頁も、あずさの頁も白紙だった。先頭に一行だけある。
〈最後は全部、佐和のために空けました〉
書きたいことはたくさんあった。
家では両親が別居していた。進学費用が不安だった。三人が別々の町へ行くことが寂しかった。
けれど白紙が広すぎて、佐和は一文字も書けなかった。卒業式の日、笑顔で日記を返し、「特にないよ」と言った。
三人は困った顔をしたが、無理には聞かなかった。
十年経っても、佐和は最後の当番を続けている。職場で誰かが休めば引き受け、友人の相談には夜中でも返し、自分の予定は後ろへずらす。周囲は「佐和なら大丈夫」と言う。昔は褒め言葉だった。
昨夜、綺羅から届いた誕生日カードに、交換日記から切り取った白い頁が挟まっていた。
〈まだ空いてるよ〉
裏に三人の名前があった。切れ端の縁には、卒業の日に佐和が触れたまま残した薄い指紋と、あずさが描いた小さな四つ葉が見えた。三人は、空白を捨てずに持っていてくれたのだ。
佐和は有給の理由欄へ、初めて飾らずに書いた。
〈私用〉
申請ボタンを押す。
それから白い切れ端を机に置き、ボールペンで一行だけ記した。
〈私は疲れている。今日は誰の分も頑張れない〉
文字にすると、世界は壊れなかった。
むしろ空白が、ようやく自分の居場所になった。
佐和は三人のグループへ写真を送る。
すぐに返ってきたのは助言ではなく、三つのハートだけだった。