月食が終わる窓

二十一時四十分。久世天馬は長野の天文台で、皆既月食の終わりを待っていた。北海道の小柴月乃とは、観測用の通話をつないでいる。赤い月が元の色へ戻るまで、あと十分。

天馬の手元には、針穴だらけの星図がある。大学時代、二人で流星の位置を記録した紙だ。月乃が開けた穴は乱れ、天馬の穴は定規で並ぶ。離れて働くようになってからも、同じ現象がある夜だけ星図を窓へ貼り、声をつないだ。紙の端には、月乃が長野へ来た一度きりの観測日の霜染みが残っている。星図を重ねた窓の向こうで月が欠けるたび、二人は同じ秒にシャッターを切り、翌朝に露出の違いを比べた。

「次の月は、ここから見られない」

月乃が言った。

「異動、決まったのか」

「うん」

「また遠くなる?」

返事がない。北海道側は雪雲で通信が不安定だった。

天馬は一年前、長野へ来ないかと誘った。月乃は研究を途中で投げられないと断った。以来、天馬は自分の観測成果も、昇進の話も送らなくなった。喜ばせるより距離を測らせる気がしたからだ。

「もう追いかけなくていいよ」

月乃の声が聞こえた。天馬は、それを自分に向けた言葉だと思った。

「分かった。星図も返す」

「え?」

彼は筒へ丸め、宛名を書き始めた。月食は残り五分。

二十一時四十七分、観測システムに月乃の位置情報が遅れて入る。北海道ではなく、長野駅。送信元の端末が雪雲を抜けたところで更新された。

通話の背後に、駅の発車案内が聞こえる。

「次の月は、この部屋から見られない。長野支所に採用されたから」

「じゃあ、追いかけなくていいって」

「列車を。乗り換えが遅れて、最終に間に合わないかもしれないって言ったの」

天馬は時計を見る。駅から天文台まで車で十五分。月食が終わるまで三分。月乃は、同じ月を隣で見る約束を守れないと謝っていた。

「迎えに来て」と彼女が言う。

天馬は星図の筒を握った。観測中に持ち場を離れれば、任されていた記録は欠ける。ずっと仕事を選んだ月乃を責めながら、自分も同じ選択をしようとしている。

二十一時五十分。赤い影が月から抜けた。

天馬は記録装置を自動へ切り替え、星図を助手席へ放り込み、天文台の鍵を閉めて駅へ走った。