校歌のない学校

その春、山ノ端分校を卒業するのは、伊吹と小春の二人だけだった。

そして、学校そのものも同じ日に閉じることになっていた。

体育館には来賓用の椅子が二十脚並び、卒業生用は二脚。壁の紅白幕は長さが足りず、端から古い木の壁が見えていた。校長は本校と兼任で、祝辞を読むため雪道を一時間かけて来た。

式は滞りなく進んだ。

最後は校歌斉唱だった。

伴奏を始めようとした先生が、ピアノの前で固まった。低いラの鍵盤が戻らない。昨日までは鳴ったのに、押されたまま沈んでいる。

「音源を流します」と誰かが言った。

けれど小春が首を振った。

「二人で歌えます」

伊吹も頷いた。

前奏なしで歌い始めた。最初の音は少しずれた。伊吹は低く、小春は高い。二人しかいない歌声は、広い体育館で頼りなくほどけた。

二番へ入るころ、伊吹は一年生の入学式を思い出した。あのときは上級生が十一人いた。六年生の声が天井まで届き、自分たちは口を動かすだけでよかった。

今は、後ろに続く声がない。

三番の途中、小春の声が震えた。伊吹は少しだけ声を張った。

その瞬間、屋根に積もっていた雪が、轟音とともに滑り落ちた。

どどど、と体育館が揺れた。

来賓が驚き、誰かが笑った。小春も吹き出した。伊吹も歌いながら笑った。

雪の音はまるで、遅れて届いた大勢の足踏みだった。

二人は最後の一節を歌い切った。

式後、校門の前で記念写真を撮った。校名板はすでに片側のねじが外されている。先生が「もう一枚」と言うたび、雪解け水が軒から落ちた。

小春が伊吹へ囁いた。

「さっき、先輩たちも歌ってた気がした」

「雪の音だろ」

「そういうことにしとく?」

二人は顔を見合わせた。

午後、校舎の鍵が閉められた。ピアノの低いラは、沈んだままだった。

けれど伊吹の耳には、足りなかった伴奏よりも、二人で外した最初の音と、雪が加わった最後の音が残った。

学校に校歌はもう流れない。

だからこそ、最後に歌った二人の中でだけ、いつまでも続いた。