検索結果、ゼロ件

蓼沼園子は、未来の人物検索通知で自分の名を調べた。

〈二十年後の検索結果 〇件〉

園子は地域の女性支援団体を立ち上げたばかりだった。夜逃げしてきた親子へ部屋を探し、役所へ同行し、暴力を受けた人の話を朝まで聞いた。誰にも知られなくても必要な仕事だと思っていたはずなのに、零という数字を見た瞬間、怖くなった。

自分が死ねば、全部消える。

園子は記録を残し始めた。活動報告に自分の写真を増やし、取材では代表者名を大きく載せるよう頼んだ。支援者より先に講演会へ出て、賞へ応募した。検索結果は少しずつ増えたが、団体の仲間は減った。園子は受賞式の壇上で、自分一人が始めた活動だと語った。客席にいた創設メンバーは、その月に辞めた。寄付は増えたのに、夜間相談へ出る人が足りなくなった。名前を残そうとするほど、仕事を支えていた名のない手が離れていった。

ある夜、保護を求める女性が来た。園子は翌朝のテレビ出演があり、担当者へ任せようとした。女性は玄関で言った。

「有名な人なら、私の名前を出さずに助けてくれると思った」

園子は化粧を落とし、テレビ局へ欠席を伝えた。女性と一晩かけて荷物を運び、子どもの学校を変え、住民票の閲覧制限を申請した。記事にはならなかった。

翌日、園子は団体のサイトから代表者の顔写真を外した。相談件数と避難先の空きだけを目立たせた。講演では、自分より現場の担当者を紹介した。

二十年後、園子は引退した。未来検索をもう一度実行すると、やはり自分の名は零件だった。個人情報保護の方針が変わり、支援者の名前は記録から消されていた。かつて受けた賞のページも、サイト更新でなくなっていた。

代わりに、彼女が最初に借りた古い一室は、十六室の保護住宅になっていた。玄関の掲示板には、〈ここでは本名を言わなくていい〉と書かれていた。

園子はそれを読んで、零件の通知を保存した。

名を残さないことが敗北ではない仕事もある。自分が消えたあとにも、誰かが安全に名前を隠せるなら、それで十分だった。