次の電車で帰る

火曜の午後六時五十二分、柚葉は駅の改札前で茉莉を待っていた。

乗り換え時間は十二分。茉莉が「五分だけ会える?」と連絡してきたので、いつも使う快速を一本遅らせるつもりだった。

人波の向こうから茉莉が走ってきた。息を切らし、紙のカップを二つ持っている。

「急にごめん。これ、柚葉の」

渡されたカフェラテは、ふたの飲み口から少しこぼれていた。

茉莉は笑いながら左手を見せた。

「結婚することになった」

柚葉は驚いて、紙カップを落としそうになった。茉莉の指には細い輪があり、爪の先は仕事用の透明な色のままだった。

「おめでとう」

言った直後、ホームへ向かう電車の案内が流れた。柚葉が毎日乗る快速だった。

茉莉は、相手の転勤が決まり、それなら一緒に行こうという話になったのだと早口で説明した。来月にはこの街を離れるらしい。

結婚より、引っ越すという言葉のほうが柚葉の胸に残った。二人は頻繁に会うわけではない。それでも、思い立てば五分だけ会える距離に茉莉がいることを、柚葉は当たり前にしていた。

「柚葉は電車、大丈夫?」

時計を見ると、発車まで一分だった。

「次で帰る」

「でも遅くなるよ」

「一本くらい」

茉莉は少し安心したように、残りの話をゆっくり続けた。二人で住む部屋はまだ決まっていないこと。母親に電話する前に柚葉へ言いたかったこと。

七分後、茉莉は反対側の改札へ消えた。

柚葉はホームへ降りた。次の電車は十五分後。ベンチは空いていたが、いつもの癖で先頭の乗車位置まで歩きかける。

やめて、近くのベンチに座った。

カフェラテはもうぬるかった。ふたを開けると、泡が少しだけ残っている。茉莉が遠くへ行く寂しさも、結婚を喜ぶ気持ちも、帰宅が遅れる面倒さも、全部そこにあった。

柚葉はスマートフォンを出し、家族への連絡も、明日の予定の確認もしなかった。ただ、次の電車が来るまで飲んだ。

一本見送ったくらいで、生活は壊れない。友人の報告を受けた直後に、急いでいつもの自分へ戻らなくてもいい。

十五分後、柚葉は空になったカップを捨て、次の電車に乗った。