正しい母親の不正解
小鳥遊紫苑の子育てAIは、ついに究極の助言を表示した。
〈並行世界の成功例と面談します〉
現れたのは、すべての推奨を守った紫苑だった。離乳食の糖分、睡眠時間、習い事、交友関係。向こうの娘・咲良は十五歳で国際数学大会の代表になっていた。
こちらの娘・伊緒は同じ十五歳で、不登校。朝からパン生地をこね、進学の話をすると部屋へ閉じこもる。
「私なら、八歳の時点で動画時間を制限した」と向こうの紫苑は言った。
「私は、娘を壊したの?」
「結果は出ている」
面談中、伊緒が台所から顔を出した。画面の母を見て、「そっちの私、幸せ?」と尋ねた。
向こうの紫苑は答えを検索した。娘の成績、健康、友人評価はすべて最高値だった。幸福質問だけ、三年間未回答だった。
その夜、向こうの咲良が母の端末を奪って通信してきた。
『そっちの私は、パン屋になれる?』
伊緒は笑った。
「なれるよ。失敗するけど」
『失敗って、どうやるの?』
二人の母は同時に通信を切ろうとした。二人の娘は同時に怒った。
伊緒は、母が自分を「不正解の例」として差し出したことに傷ついていた。咲良は、正解であり続けるため、自分の望みを一度も採点表へ書かなかった。
紫苑は初めて子育てAIの助言を拒否した。翌日、伊緒が出店した小さな朝市へ一緒に立った。パンは焦げ、値札は間違い、売上は赤字だった。
「ほら、失敗した」と伊緒が言う。
「うん」
「怒らないの?」
「怒り方を、AIに聞かずに考えてる」
向こうの世界では、咲良が大会を辞退したという通知が来た。紫苑は祝福も心配も送らなかった。ただ、こちらで余った焦げパンの写真を送った。
数年後、伊緒は学校へ戻らず、製パン所で働き始めた。正しい進路ではなかった。紫苑は今も不安になる。
けれど不安になるたび、娘を修正する前に尋ねる。
「あなたの不正解は、今どんな味?」
数か月後、向こうの咲良から焦げた丸パンの写真が届いた。〈初失敗。苦い〉。伊緒はそれを店の壁に貼り、「世界で二番目にまずいパン」と札を付けた。紫苑は一番目を尋ねず、二人の娘が決める余白を残した。