水槽の底のグリルドチーズ

 代々木塔子は、演奏会のリハーサルを終えると、チェロのケースを壁へ立てかけたまま床へ座った。

 今日も首席奏者の音は、同じ楽器とは思えないほど深かった。塔子は音程を外していない。指揮者から注意もされていない。それなのに、自分の音だけが薄い紙でできているように感じた。

 水槽の中では、ウーパールーパーのうどんが底へ腹をつけ、何も考えていない顔をしている。

「あなた、響きとか気にしないよね」

 うどんは鰓をふわりと揺らした。

 塔子は食パンへチェダーチーズを二枚ずつ挟み、外側へバターを塗った。フライパンで押し焼きにすると、パンの表面がきつね色になり、縁からチーズが溶け出して焦げた。

 小鍋では缶のトマトスープを温め、生クリームを少し加える。赤いスープへ黒胡椒を落とすと、酸味の匂いが柔らかくなった。

 サンドを斜めに切る。持ち上げると、黄色いチーズが長く伸びた。塔子はその端をトマトスープへ浸し、かぶりつく。ざくりとしたパン、濃いチーズ、酸っぱいスープ。音にすれば不揃いなのに、口の中ではよく合った。

 リハーサルの録音を再生する。自分の場所を探そうとしたが、弦の音は重なり、誰がどこを弾いているか分からない。その分からなさが、今夜は少し救いだった。

 首席の音だけで曲はできない。塔子の音だけを抜いても、たぶん何かが薄くなる。

「薄い紙でも、重ねれば本になるか」

 うどんがゆっくり前足を動かした。

 塔子は録音を止め、チェロをケースへしまった。練習は明日にする。今夜は指先へバターの匂いをつけたままでいい。

 スープの最後を飲み、空の皿を水槽の前へ置くと、うどんが硝子越しに寄ってきた。

 部屋の静けさには、焦げたパンとトマトの温かな香りが残っていた。音を出していない時間も、自分は演奏家のままだ。塔子はそのことを、誰にも聞かせず胸の中で一度だけ鳴らした。

 水槽の泡が一定の間隔で水面へ上がり、小さく弾けた。塔子はその音を数えず、比べず、ただ聞いた。指先の油を布巾で拭っても、焦げたチーズの香りはしばらく弦を押さえる場所に残った。