水路から拾った名前

離婚届を出した帰り、私は旧姓の印鑑を握ったまま、故郷の細い水路沿いを歩いた。橋の欄干には、制服の名札を留める安全ピンのような錆びた針金が絡んでいる。触れた瞬間、十六歳の声が戻った。

私の名前は「史帆」と書いて、しほと読む。珍しくもないのに、転校したばかりの教室では、名字の訛りと一緒に何度もからかわれた。昼休み、私は名札を外し、この水路へ投げた。

放課後、志津が膝まで水に入り、流れかけた名札を拾った。靴下も制服の裾も濡らしながら、「嫌いなら捨ててもいいけど、笑った人に捨てさせるのは違う」と言った。

私は礼も言わず、名札を受け取った。その夜、裏側に小さく自分で読み仮名を書いた。翌朝から、名前を間違えられるたびに「しほです」と言い直した。

結婚するとき、私は迷わず相手の姓を選んだ。新しい名字は読み間違えられず、家族になった印のようで嬉しかった。けれど離婚が決まり、旧姓へ戻す書類を前にすると、過去へ後退する気がした。結婚に失敗し、元の場所へ送り返されるようで。

水路はコンクリートで浅くなり、昔ほど流れが速くない。私は印鑑の側面に刻まれた旧姓を親指でなぞる。戻るのではない。この名字で生まれ、別の名字で暮らし、また選び直した私になるだけだ。

橋の上で、新しい名刺の校正画面を開く。会社からは名字だけ直す案が届いていた。私は氏名の下に、これまで載せなかった読み仮名を加える。

〈しほ〉

確認ボタンを押すと、画面に新しい名刺が並んだ。志津が拾った名札はもうない。それでも、あの日自分で書いた小さな読み仮名が、今も私の声の中に残っている。

水面に映った顔は、結婚前とも結婚中とも少し違う。姓が変わるたび別人になるのではなく、全部を通ってきた顔だった。印鑑の重さも、失敗の証拠ではなく選び直すための道具に変わる。

印鑑を鞄へしまい、水路沿いを駅へ向かう。名前は過去へ引き戻す札ではない。何度呼び直しても、今いる場所から先へ持っていけるものだ。