沈没船の治療室を出たあとで

船医イヴェットは、嵐の夜に一人の水夫を救えなかった。

薬も縫合糸も尽きていた。それでも船長は「判断が遅い」と彼女を責め、沈みかけた船から先に降ろした。港では、仲間を置いて逃げた医者だと噂された。

診療箱を抱えて桟橋に座っていると、三隻から人が来た。

王国艦隊の軍医長バルドは、自分の銀製聴診具を箱へ収めた。

「救護艇の責任者になってほしい。治療の優先順位は君が決める」

海賊船の副長ライラは、船尾の小部屋の鍵を渡した。

「治療室にした。船長でも勝手に入れない、あんたの部屋だ」

香辛料船を率いる青年チャンドラは、出港鐘を鳴らさず待っていた。

「陸に残るなら宿代を払う。海へ出るなら、返事を聞いてから帆を上げる」

敵対する三人が同時に誘う姿を見て、港の野次馬がざわつく。

バルドは沈没時の治療記録を読み、ライラは助かった水夫全員から話を聞き、チャンドラは薬の在庫表まで取り寄せていた。三人は噂ではなく、イヴェットが最後まで治療室にいた事実を選んだのだ。

そのとき、担架で負傷者が運ばれてきた。沈没船でイヴェットを責めた船長だった。毒魚の棘が腕に刺さり、呼吸が浅い。

彼女は迷わず解毒薬を打った。すると船長の全身が激しく痙攣する。

「また間違えた……」

イヴェットは診療箱を閉じ、三人から離れた。

「私を雇わないでください。次は、あなたたちを殺してしまう」

バルドが聴診具を取り出した。返されるのだと思った。

だが彼はそれをイヴェットの耳へ掛け、ライラは船長の体を横向きに支え、チャンドラは船倉から棘と同じ毒魚を持ってくる。誰も桟橋を離れない。

「痙攣は解毒が効いた反応だ」とバルド。

「呼吸が戻ってる」とライラ。

チャンドラは出港鐘の綱を切り、甲板へ落とした。

「治療が終わるまで、どの船も出さない」

やがて船長は大きく息を吸った。

イヴェットが顔を上げると、聴診具は首に残り、小部屋の鍵は診療箱にあり、三隻の錨は海底へ下りたままだった。

どの旗の下へ行くか決めなくても、三つの甲板が彼女の帰りを待つ。

沈没船から追い出された船医のために、その夜の港では、出港鐘が一度も鳴らなかった。