消さなかったアーカイブ

霧島沙帆は、配信で一度だけ会社の話をした。

残業続きの夜、ゲームの中で村長が部下の手柄を奪う場面を見て、思わず言ったのだ。

「現実でも、記録は残したほうがいいよ。言われた日時と内容。ゲームみたいにログが自動で残らないから」

配信者〈サハラ砂漠〉としての何気ない一言だった。けれど翌朝、その部分だけを切り抜いた動画が拡散されていた。

《人気配信者、ブラック企業勤務を示唆》

沙帆は広告会社の営業事務だ。顔は出していないが、声を知る同僚なら気づくかもしれない。しかも実際、主任は若手の企画を自分の案として提出していた。

昼休み、社内チャットに切り抜き動画のURLが貼られた。

送ったのは同期の榎本だった。

〈これ、霧島さんだよね。削除したほうがいい〉

血の気が引いた。すぐアーカイブを非公開にしようとしたところへ、榎本から続きが来る。

〈身元が分かる情報はない。でも主任が探り始めてる。私が別の配信者だと言っておく〉

沙帆はほっとし、同時に指が止まった。

〈どうして助けてくれるの〉

返事は、写真だった。榎本の手帳に、主任から言われた日時と内容が細かく並んでいる。

〈あの言葉を聞いて、昨日から記録を始めた。私だけじゃなかったなら、一緒に人事へ出したい〉

沙帆は、自分の秘密を守ることと、言葉をなかったことにすることを混同していた。

午後、主任に呼ばれた。

「この配信者、うちの誰かじゃないかって話がある。声に心当たりは?」

沙帆は一度だけ深く息を吸った。

「私です」

主任の顔が変わる。

「会社の信用を落とすつもりか」

「会社名は出していません。それから、記録を残したほうがいいという発言も撤回しません」

机の上に、自分と榎本の記録を置いた。

人事面談がどう決着するかは、まだ分からない。配信者だと広まるのも怖い。それでも帰宅後、沙帆は非公開にしかけたアーカイブを開いた。

削除ボタンの隣に、公開中の印がある。

沙帆は何も押さず、画面を閉じた。

その夜の配信開始通知には、いつもの名前を使った。

〈サハラ砂漠、本日も記録を残します〉