煮えたら呼ぶ鍋焼きうどん

シャッターを半分まで下ろしたところで、店主は外から靴音を聞いた。若い客が腰をかがめて中をのぞいている。

「すみません。何か、温かいものを」

店主は土鍋を一つ取り出した。

「鍋焼きうどんだけ。煮えるまで待てるなら」

出汁が火にかかり、土鍋の蓋が小さく震えた。隙間から白い湯気が噴き、鰹と醤油の匂いが広がる。蓋を開けると、うどんの周りで泡がぐつぐつと弾け、落とした卵の白身が端から固まり始めていた。

客はコンビニの夜勤をしながら、昼は建築の専門学校へ通おうとしていた。入学願書の締切は明日の正午。書類は鞄に入っている。けれど今日、店長から「人が足りないから、しばらく昼も入れないか」と頼まれた。断ればシフトを減らされるかもしれない。学校へ行っても、二年間続けられる保証はない。

願書を出さなければ、少なくとも明日の生活は変わらない。その安心が、鉛のように鞄を重くしていた。願書の角は、出すか戻すか迷うたびに指で撫でられ、少し丸くなっている。

「まだですか」

客が土鍋をのぞくと、店主は箸を並べながら言った。

「煮えたら呼びます」

急かすなとも、待てとも言わなかった。

やがて蓋が外される。熱い湯気で客の前髪が湿った。うどんを持ち上げると、出汁がしずくになって落ち、卵の黄身はまだ柔らかく揺れている。一口すすると、熱さのあとから鰹の香りが鼻へ抜けた。

客は願書を鞄から出した。空欄は、志望動機の最後の二行だけだった。スマートフォンで明日の予定を開き、朝九時に郵便局へ行くと入れる。その前に店長へ、昼の追加勤務は週二日までなら可能だと伝える文面を作った。

学校へ通えるかは分からない。店長に断られるかもしれない。学費の不足も残っている。それでも、煮える前から土鍋を火から下ろす理由にはしたくなかった。

最後のうどんは少し柔らかくなり、黄身が出汁へ溶けていた。店主がシャッターを下ろす音の中で、客はその濃くなった一口をすすった。熱は喉を通り、胸の奥にゆっくり留まった。