牡蠣フライの一口目
矢吹隆也は、明日の投資家向け説明会を欠席する理由を探していた。
共同創業者であり、昨夜まで恋人だった相手と同じ壇上に立つ予定だった。別れ話のきっかけは、事業計画の修正だった。彼女が二人きりの部屋で「怖い」と言ったとき、隆也は売上予測を開き、「数字上は問題ない」と答えた。
「仕事の話をやめたいときまで、私は共同創業者なの」
彼女はそう言って、部屋の鍵を置いた。
創業前、二人は閉店後のファミレスで朝まで夢を話した。会社が大きくなるにつれ、隆也は彼女の不安をリスク項目へ置き換えた。恋人として聞けば怖くなる話も、経営者としてなら処理できると思っていた。
隆也は「岬灯」へ入った。遅い時間で、客は一人。白ワインを一杯頼むと、店主が牡蠣フライを揚げた。油の中で衣が激しく鳴り、引き上げられた表面から細い湯気が立つ。割れた衣の隙間から、潮と胡椒の匂いが広がった。
欠席すれば、彼女は一人で説明をやり切るだろう。投資家には体調不良と伝えればいい。別れた直後に隣へ立つより、会社を辞めた方が潔いとさえ思った。だがそれは、彼女へ事業も感情も片づけさせる逃げ方だった。
説明資料の最後には、二人の名前が並んでいる。片方を消せば会社の物語まで簡単になるが、昨夜まで積み上げた仕事は、別れた瞬間に誰か一人のものへ戻るわけではなかった。
隆也が箸で牡蠣を持ち上げると、店主が言った。
「一口目は熱いぞ」
「待てば冷めますか」
「そりゃ冷める」
隆也は欠席の下書きを消した。明日は壇上へ立ち、自分の担当部分を話す。終了後、二人きりにならないよう顧問を交え、役割分担と連絡手段を決める。恋愛の結論を会議へ持ち込まない。辞めるかどうかは、一週間休んでから考える。
彼女が同じ会社に残れるのかも分からない。顔を見るだけで昨夜の言葉を思い出し、声が震えるかもしれない。
少し冷ました牡蠣フライを噛むと、衣が乾いた音を立て、中の身はまだ熱く柔らかかった。潮の濃さが舌へ広がり、白ワインより先に喉を温めた。