犯罪者の朝食

檜垣つむぎは、刑務所を出た日に父親の記憶を買った。

つむぎに父はいなかった。母も仕事で不在がちで、朝食はいつも菓子パンだった。会社の金を横領したのも、金さえあれば普通の家庭に近づけると思ったからだ。判決後、その考えが何より恥ずかしかった。

更生支援AIは、生活習慣を学ぶための記憶商品を勧めた。つむぎが選んだのは「二児の父・平日の朝」。目覚ましを止め、味噌汁を温め、眠そうな娘の髪を結び、息子の忘れ物を追いかける。派手な幸福はないが、誰かの一日を支える手順が詰まっていた。

つむぎは小さな弁当店で働き始めた。毎朝五時に起き、借りた父親の感覚で米を研いだ。職場の若い同僚が遅刻すると、おにぎりを残しておいた。誰かに必要とされる日々は、盗んだ金で買った家具より温かかった。

一年後、記憶の販売者が店へ来た。

男は、つむぎと同じ刑務所にいた詐欺師だった。模範的な父親の朝は本物だが、彼は家族名義で借金を作り、逃亡前に記憶を売っていた。

「いい商品だったろ。俺にも、まともな部分はあった」

つむぎは吐き気がした。自分の更生が、別の犯罪者の切り売りに支えられていた。

男は記憶の買い戻しを求めた。娘が結婚するので、せめて髪を結んだ手触りだけ思い出したいという。つむぎは拒んだ。彼が父親らしい顔で家族へ近づくために使うのではないかと疑った。

その夜、借りた記憶の娘が鏡越しに笑う場面を再生した。愛していたことと、傷つけなかったことは同じではない。だが罪を犯した人間の中に善い朝があったからといって、その朝まで嘘になるわけでもなかった。

つむぎは記憶を返した。ただし、男の家族へ連絡し、接触の判断を委ねた。

翌朝、彼女は初めて自分の手順で味噌汁を作った。出汁を入れ忘れ、ひどく薄かった。店の同僚は笑いながら醤油を足した。

つむぎはその失敗を保存した。

借り物の善人を演じるのではなく、過ちを隠さず誰かと朝を作り直す。それが、彼女が選んだ普通の生活だった。