猫の引き渡しは二十一時

希依は動物病院の待合室で、征矢からの連絡を待っていた。

保護猫の麦が誤って紐を飲み、夕方から処置を受けている。希依が残業中、見守りカメラの異変に気づいたのは征矢だった。合鍵もないのに管理会社と連絡を取り、希依より先に病院を探してくれた。征矢は重い猫アレルギーなのに車を出してくれた。希依の着信を一度で取り、会議を抜けて駆けつけたのだ。二人は何度かデートをしたが、希依は関係を進めなかった。麦を手放す選択肢はなく、征矢に薬を飲ませ続ける未来も選べなかったからだ。好きだと言えば、彼の優しさが無理を選ぶと思った。

《駐車場にいる。終わったら連絡して》

二十一時、診察室から麦が戻った。大事はなかった。麻酔の残る麦はキャリーの奥で丸くなり、希依の指に鼻先だけを寄せた。受付の時計は閉院時刻を過ぎていた。希依がキャリーを抱えて外へ出ると、征矢はマスクを二重にして待っていた。

「タクシーで帰るよ」

「送る」

「猫が先だから」

「知ってる」

「一緒にいるの、無理でしょう」

駐車場の精算機が故障し、出口のバーが上がらない。係員が来るまで五分。征矢はくしゃみをこらえるたび窓の外を向き、希依は申し訳なさと安心を同時に持て余した。車内は狭く、窓を全開にしても話からは逃げられない。

「猫が先って、俺と猫を同じ順位表に置かなくていい」

「でも、暮らせない」

「今すぐ暮らす話を誰がした?」

「先がないなら、始めない方がいい」

「先の形を一つに決めてるのは希依だよ」

征矢は助手席の足元に、小型の空気清浄機を置いていた。麦を触るためではなく、希依と同じ車にいるために買ったのだという。

バーが上がり、後ろの車がクラクションを鳴らした。

希依はキャリーの留め具を確かめ、三度目を言い直した。

「猫が先。だから、猫をいないことにしない人の連絡を待ちたい」

征矢は返事の代わりに車を発進させた。

帰宅後、希依は病院アプリの「送迎時の連絡先」に征矢の番号を追加した。麦が眠るまで、通話はつないだままにした。