白いパンツスーツ

八代糸葉がブライダルサロンを辞めると告げた日、鵜飼佳苗は試着室のカーテンを閉めながら「結婚が嫌いになったの?」と聞いた。

糸葉は「結婚じゃなくて、正解が一着しかないみたいに売るのが嫌になった」と答えた。

佳苗はこの仕事が好きだった。家族が泣く瞬間も、鏡の前で背筋が伸びる瞬間も、作り物だから価値がないとは思わない。糸葉には佳苗が夢を守るために客の違和感を見落としているように見え、佳苗には糸葉が理想に合わない現場を簡単に捨てるように見えた。

退職まで十日、二人は女性同士のカップルを担当した。一人はドレスを希望し、もう一人は白いパンツスーツを探していた。サロンには撮影用の一着があったが、店長は出すのを渋った。

「新郎向け商品ではサイズが合わないし、うちは基本プランがドレス二着だから」

客は「無理なら別の店を探します」と静かに言った。

糸葉は奥の倉庫へ向かった。佳苗が追う。

「勝手に出したら、また揉める」

「私はもう辞めるから?」

「それを免罪符にしないで」

「じゃあ戻る?」

佳苗は答えず、スーツのカバーを外した。糸葉が裾を持ち、佳苗が肩を支える。長く保管されていた白い布には折りじわがあった。

二人はスチーマーを準備した。糸葉は大胆に蒸気を当て、佳苗は縫い目を傷めない距離を測る。サイズ直しの余地を確認し、仮留め用のクリップを並べる。店長が「プラン外」と言うたび、佳苗は追加費用の計算を出し、糸葉は既存規約の「衣装持込・応相談」を指した。

試着室で客が袖を通すと、肩幅はほぼ合った。鏡の前に立った二人は、互いの服ではなく自分の姿を先に確かめ、それから顔を見合わせた。

「これで写真を撮りたいです」

佳苗は見積書へ新しい品目を作った。糸葉は裾直しの日程を縫製室へ確認した。

二人は結婚観について何も譲らなかった。けれど、客が選んだ服を「例外」のまま倉庫へ戻す気もなかった。

閉店後、糸葉がスーツの裾を畳み、佳苗が専用ハンガーを用意した。二人で白い一着を持ち上げ、翌日の試着予約が並ぶラックの中央へ掛けた。